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心理と哲学に関するcastleのブックマーク (477)

  • 認知論的転回 - 池田信夫 blog

    20世紀初頭にソシュールによって始まった哲学の革命を「言語論的転回」と呼んだのはローティだが、『認知文法のエッセンス』は、いま人文科学で認知論的転回が起こっているという。それはチョムスキーに代表される分節言語をモデルとする形式主義を否定し、言語が非言語的な生活の中から生成するプロセスをとらえようとする方法論だ。 その元祖レイコフの理論のコアにあるのは、メタファーの概念である。彼は、言語や知性は先天的に与えられたものではなく、特定の文化圏の中で形成されたフレームに依存するものだと主張する。たとえばブッシュ政権の"tax relief"という政策には「納税者を救済する」というフレームが暗黙のうちに含まれている。この"relief"というフレームの中で論争したことが民主党の敗因だった。 "The Stuff of Thought"は、このテーマを心理学の立場から論じ、言語をフレームの概念で理

    castle
    castle 2009/07/14
    「言語が非言語的な生活の中から生成するプロセスをとらえようとする方法論」「メタファーの概念:言語や知性は先天的に与えられたものではなく、特定の文化圏の中で形成されたフレームに依存するものだと主張する」
  • パロール・ドネ - 池田信夫 blog

    くだらない雑用で頭が窒息状態になったときは、書のような人類の数千年の営みに思いをはせるを読むのが精神衛生にいいかもしれない。書は20世紀最大の知的巨人の30年以上にわたる講義の内容を要約したもので、その膨大な業績を一望するには便利だが、それを400ページ足らずの訳に圧縮することは不可能なので、彼の著書を読んでいない人には難解かもしれない。 全体として描かれているのは、冷たい社会の人々が謎に満ちた世界を理解し、社会の存在する意味を見出す努力の跡である。圧倒的に巨大な自然の闇の中で微小な存在でしかない人間が、そのささやかな秩序を守るためにつむいできた神話や親族構造が、詳細に分析される。それを通じて見えてくるのは、荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいものかということだ。 しかし人類は、いつからかこういう静的な秩序を守るのをやめ、自然を征服して不確実性を

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    castle 2009/06/29
    「人類は、いつからかこういう静的な秩序(神話や親族構造)を守るのをやめ、自然を征服して不確実性をなくすテクノロジーを開発するようになった」「彼らも結局は、生きる目的を見出せないまま、自然に帰る」
  • 3ToheiLog: 主観的アイデンティティと客観的アイデンティティ

    castle
    castle 2009/06/22
    「(客観的なアイデンティティとは)《他人に対する宣言》」「欧米が"identity"にこだわる考え方は、日本で言う「キャラ」とかに近いのだと思う。つまり「外界に対する自分の反応パターン」を提示して約束すること」
  • 「黒鳥」の正体 - 書評 - ブラック・スワン : 404 Blog Not Found

    2009年06月19日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 「黒鳥」の正体 - 書評 - ブラック・スワン ダイヤモンド社より献御礼。 ブラック・スワン 不確実性とリスクのNassim Nicholas Taleb / 望月衛訳 [原著:Black Swan] 初出2009.06.17; 販売開始まで更新 私が言うのも変だが、邦訳を待ちわびていた人も多いだろう。私自身、前著「まぐれ」を読了後日をおかずして原著を入手して、「これはとてつもない。早く紹介したい」という気持ちを日まで抑えてきた。 上下分冊は残念だが、しかしこの表紙絵の美しさは原著を凌駕している。そして、単に美しいだけではなく、つがいとなることで書の質により近づいている。それぞれ1,890円というのはさらに残念だが、書を読了してなおそれだけの価値がないと感じるのは、価値感覚そのものが麻痺している人

    「黒鳥」の正体 - 書評 - ブラック・スワン : 404 Blog Not Found
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    castle 2009/06/17
    「「ブラック・スワン」とは、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味」「贈り物にお城をもらっておいて、風呂場のカビを気にするような恩知らずになってはいけない。あなた自身が黒い白鳥なのだ」
  • フジテレビ「サキヨミLIVE」について - 社会学と生命倫理の迷い道

    2009年5月17日夜のフジテレビ「サキヨミLIVE」の「アスヨミ」コーナーで、「臓器移植法」とどう向き合うのか、「小さな命 どう救う? “脳死”に揺れる家族」という特集がありました。 「長期脳死」に関して取り上げられていたので、興味深く見たのですが、残念と思う部分も多かったので、少しコメントを。 この番組では2つの家族が登場しました。 まず、心臓移植でしか助からないと言われ海外で心臓移植を受けたお子さんとその家族。 それから、8年前に「脳死」と診断されながら生き続けているお子さんとその家族。 放送で心に響くご家族の言葉はいくつもあったのですが、ここでは、僕が興味深く思った話の筋だけの部分だけを。 現行法では15歳未満が脳死からの臓器提供を意思表示することは認められていない。 けれども、体の小さな子どもが心臓移植を受けるためには、その大きさにあった臓器が必要になる。つまり、子どもが臓器移植

    フジテレビ「サキヨミLIVE」について - 社会学と生命倫理の迷い道
    castle
    castle 2009/06/12
    「この番組で放映された映像をみて、長期脳死のお子さんと8年に渡って生きてきたご家族を前にして、「あなたのお子さんは“脳死”なのだから本当は死んでいるのです」とは言えない」
  • 他力本願 - Wikipedia

    他力願(たりきほんがん) 仏教用語。阿弥陀仏の願に頼って成仏すること [1][2][3]。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。#用法1を参照。 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意[1][2]。#用法2を参照。 上記の双方の意味とも、『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。 来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の来の用法からして誤解である」[4]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[5]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「来は~」として用法1の意味を解説する辞書[6]もある。

    castle
    castle 2009/06/06
    「他力とは自ら以外の他者の働きのこと」「親鸞:他力というは如来の本願力なり」「その願力によって衆生は浄土へ往生する」「自らの働きもしくは行によっては往生は成就しないということをも意味している」
  • [阿弥陀とは全知全能をあらわす] by 碌々(ろくろく)ブログ

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    castle 2009/06/06
    「「阿」というのは否定をあらわす言葉で、「弥陀」を否定しています。弥陀とは、量(はか)るという意味。そうすると、阿・弥陀というのははかれない、ということで、無量(無限)」「一方に命、一方に光があり」
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    castle
    castle 2009/06/03
    「純粋理性=モデル化」「「物」「物自体」が身体性に相当」「物自体というのは身体性の純度を上げていったものを指し示そうとした概念。森羅万象」「悟性って禅の用語」「悟りっていうのはもっとありふれた感覚」
  • http://twitter.com/Takakazu/status/1987252056

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    castle 2009/06/01
    「仏教哲学では心身を並立して語っているが、それは西洋の心の哲学で語られている「心身二元論批判」にどうこたえることができるのだろうか」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0159.html

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    castle 2009/05/26
    「大きな物語:知識人や科学者や技術者がつくりあげてきた正当化のための物語ともいうべきもの」「小さな物語:各自が断片にすぎないことを自覚して、決して“正当”や“正解”を議論しないですむ物語がありうる」
  • [書評]奇跡の脳(ジル・ボルト・テイラー): 極東ブログ

    子供のころ私は「頭の体操」というクイズ集が好きだった。シリーズには科学版があり、正確な問いは覚えていないが、こういう問いがあった。A氏の身体にB氏の脳を移植したら、この人は誰か? 答えは、B氏である。脳が身体を支配するのだから、脳であるB氏がその人だ、と。今に至るまで記憶しているのは、子供のころ解答を知ってなるほどと思った反面、違和感もあったからだ。大人になった私としては、脳の移植は不可能だからくだらない問いかけにすぎないという感想と、それでも脳がその人を意味するという現代人の憶見を示しているだけなのではないかと皮肉な思いが交差する。 「私の脳」と「私」は同じものだろうか。脳はその器官のイメージから、あたかも認識の客体として想像されやすいが、認識し思念する「私」がその脳という器官と同じかどうかは、ハードプロブレムと呼ばれるような哲学上の難問でもある。もちろん「私」の認識や思念が脳機能の過程

    castle
    castle 2009/05/21
    「言語も思考も不自由にしか見えない患者にも豊かな内面がある」「患者は、右脳の意識の中で、接する人々の愛情とエネルギーを正確に察知している。その事を多くの人が理解し、患者への接し方を改めるようになった」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0588.html

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    castle 2009/05/20
    「(世界は人間の二重の態度において二重なのは)そもそも根元語が二つの対偶語から始まっているため。その対偶語とはドイツ語でいう“Ich-Du”(我-汝)と“Ich-Es”(我-それ)」「私という我の中に汝を見出すべき」
  • 物象化論だけど - finalventの日記

    ⇒草日記 - 「はてな村」物象化論 序説 まあ、異論とかじゃなくて、ふと思い出したんで。 ちなみにウィキペディアを見たら⇒物象化 - Wikipedia マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ゲオルク・ルカーチや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。 うひゃ、げろ懐かしい。 ほいで⇒[編集] 廣松渉の物象化論 : 物象化 - Wikipedia ま、どうでもいいんだけど、と、はてダを見ていたら。 ⇒オオツカ´ - マルクス主義の疎外論超克説について(mixiの自コミュに書いたもの) 今まで疎外論から物象化論という廣松渉の論点を鵜呑みにしていたんですが、テキストクリティークからすると結構疑わしいみたいですね。 まあ、時代的な制約とか日的な風土とかもあるんだろうけど、ま、廣松渉はちょっとみたいのはある。同じ事はヴェーバーと大塚久雄でもそうかもだけど。 で。 もし、疎外論がマ

    物象化論だけど - finalventの日記
    castle
    castle 2009/05/20
    「alienというのは、もとは異邦人で、それが近代の地球意識の妄想化で、宇宙人になるわけ」「つまり、共同性が意識されたとき、その臨界の向こうにalienateされる~それが疎外論の根底的なというか原型的なイメージ」
  • 批評 - デイヴィッド・ヒューム - Wikipedia

    デイヴィッド・ヒューム(David Hume[注 1]、ユリウス暦1711年4月26日〈グレゴリオ暦5月7日〉 - 1776年8月25日)は、スコットランドの哲学者。ロック、バークリー、ベーコン、ホッブズと並ぶ英語圏の代表的な経験論者であり、生得観念を否定し、経験論・懐疑論・自然主義(英語版)哲学に絶大な影響を及ぼした。歴史家、政治思想家、経済思想家、随筆家としても知られ、啓蒙思想家としても名高い。生涯独身を通し、子を一度も残していない。エディンバラ出身。 概要[編集] イギリス哲学の軸となった経験論の完成者で『人間性論』が主著である。生前は歴史家、哲学者として知られた。自由主義者、政治面ではジャコバイトに反対し、先進的なイングランドとスコットランドの統合を支持する立場であった。 ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立の過程をそのそもそもの源泉から問うというやり方で問い、知識の

    批評 - デイヴィッド・ヒューム - Wikipedia
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    castle 2009/05/20
    「人間の知覚は印象impressionと、そこから作り出される観念ideaの二種類にわけられる」「実体の観念は、個々の印象の連想による主観的な結合を客観において支えるべき何ものかとして、たんに想定されたもの」
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    セメントドリンク、ブラウン管、吊るされた収納、OMORIカフェ、くり抜き、どや顔の初音ミク パチミラ福岡に出演する縁で博多に行きました。 楽しかったのでその時の写真をアップロードします。 博多駅のハートポスト 手描きのグリッチ カニの丸揚げ(おいしかった) フレッシュセメント という名前の飲み物(おいしかった)ごま+バナナスムージーっぽかった? 泡系…

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    castle 2009/05/14
    「(日本では)利己主義的な行動の正当性を構築するか、あるいは非利己主義的な労働が可能な環境を構築するか、という二者択一が待ってそう」「その二者択一は自分で選択してくださいというメタ環境になりそう」
  • http://twitter.com/myrmecoleon/statuses/1767245568

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    castle 2009/05/12
    「言葉は,原義を知ることよりも,原義とその後の変転を有機的な接続をもって理解することが大事。「最初の人がどう考えたか」でなく「どう考えられてきたか」そして「どう考えられていくか」」
  • 現象 - Wikipedia

    現象(げんしょう、古希: φαινόμενον phainómenon、複数でφαινόμενα phainómena)は、次のようにいくつかの意味で用いられている。 人間の知覚できる、すべてのものごと[1]。人間界や自然界に、形として現れるもの[2]。 (人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)《現れ》のこと。出来事を、それが存在するかどうか、当かどうか、といった、その見える〈〈現れ〉〉の背後にあるものは問題にせずに、その観察された〈〈現れ〉〉として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。対義語は質。 プラトンにおいては、現象は、「イデア」( = “真に存在するもの”とされた)と対置された。 古代ギリシャ後期においては、現象にロゴスをあてがうことで“現象を救うこと”が「ロゴン・デドナイ」(学問) である、という考えが見られる。 中世スコラ学において議論はあり、実在する対象に対応するかしない

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    castle 2009/05/08
    「観察のできる事実のこと。見えるもの、現われを意味し、出来事をそれが存在するかどうか、本当かどうか、といった背後にあるものを問題にせずに、その観察された現れとして扱うとき、現象と呼ぶ。 対義語は本質」
  • 暇人\(^o^)/速報 (旧) 死後が怖すぎる、無とかいやだ

    1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:06:04.38 ID:p1nBmJsZ0ここ一週間そればかり考えて眠れない くそ ■どうせ死んでしまうのになぜいま死んではいけないのか? 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:06:34.82 ID:xXpF3zkt0それ以上考えたら死ぬぞ!今すぐ無我の境地へ! 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:07:27.02 ID:aX3Q8h1MOたまになる あと寝る時にいつ眠りにはいるかその瞬間が気になってぬめれなくなる 69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 23:17:39.91 ID:1

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    castle 2009/04/30
    「死んだら死んだ事もわからなくなるから安心してくれ」「大人になるにつれ死は甘く、生は辛く」「それ(死)に関してはみんな平等でみんな逆らえないからちょっと優しいよな」
  • シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia

    1909年2月3日、シモーヌ・アドルフィーヌ・ヴェイユ (Simone Adolphine Weil)[2] は父の医師ベルナール・ヴェイユと母セロメア(通称セルマ)の娘としてパリのアパートで誕生した[3]。兄アンドレは3歳年上。1歳を過ぎても固形物を摂ることができず重篤な状態に陥り「この子は生きられない」と医師に言われたが専門家の指導と両親の努力により危機を脱した[4]。 従軍中の父ベルナール、母セルマ、兄アンドレと。7歳 両親は共にユダヤ系であったがその"完全な不可知論"[5]により兄妹をできるだけユダヤ的なものから遠ざけて育てた[6]。1914年、第一次世界大戦勃発と同時に父ベルナールは軍医として招集され各地を転戦した。家族の同行は軍律で禁じられていたが母親セルマは二人の子供・祖母・愛犬を引き連れて夫の任地を追い転々とした[7][8]。揺れ動く状況下で兄妹の教育は切れ切れとなったが、

    シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia
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    castle 2009/04/29
    「人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する」「注意とは思考を停止させ、無欲で純粋な待機状態になることである」「弱者は強者の前で意志の自由を失い、服従するだけの物質と化してしまう」
  • マルティン・ブーバー - Wikipedia

    マルティン・ブーバー(ヘブライ語: מרטין בובר‎, ラテン文字転写;Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)は、オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。 1878年、ウィーンの正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれる。イディッシュ語とドイツ語が交わされる中で生活しながら、1892年に父方の実家があるレンベルク(当時オーストリア領、現ウクライナ領リヴィウ)に転居。イマニュエル・カント、セーレン・キェルケゴール、フリードリヒ・ニーチェなどに親しむうち哲学に興味を示し、1896年に再度ウィーンへ戻って哲学、美術史、歴史などの勉強に勤しんだ。 その後、当時盛んになったシオニズム運動に加わり、機関紙の編集者にもなるものの、ハシディズムに関心を持ったことを契機に、政治的に特化されたシオニズムに疑問を持って離脱。再び学究と著述に専念し、1923年に主著となる『

    マルティン・ブーバー - Wikipedia
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    castle 2009/04/25
    「科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできない」「真に大切なのは「われ-なんじ」関係」