ルンルンだったか。その次の作だったか。 居心地のいい酒場の常連になると人間はダメになるというのがあった。あれ、「なんとかちゃんは今日来てないで、最近元気なかったからなぁ」みたいな世界。 私なんかはそういう馴れ合いの世界に、サブイボな人なんだけど、まあ、実際のネットのビヘイビアはそうは見えないかもしれないし、そうではない人なのかもしれない。 twitterとかも、そういう馴れ合い的にも使えるし、使っていいし、ほいで、だから人間ダメになるとか別に言う気はない。どう開けるかという部分だけの問題。 関連⇒[視楽]Updates: 1537 11:20 : 南無の日記 - 2007-09-27 はてブにおけるネガコメがtwtterも対象になっていることがウザイといえばうざい。自分自身は罵倒に耐えれるのだがfollow関係のヒトが予想以上に緊張するので恐喝まがいのことはほかでやると言うことにして今後t
吉本隆明のファンなら、あるいはかつてのファンでもそうだが、「自立の思想的拠点」(参照)を読んだことがあるだろう。全著作集の政治思想評論集にも含まれている。ここでの「自立」とは、昭和40年に「展望」に書かれたという時代背景を考えても、以下の冒頭を見ても、従来型の左翼思想からの自立を意味していたかに見える。 わたしたちはいま、たくさんの思想的な死語にかこまれて生きている。 〈プロレタリアート〉とか〈階級〉とかいう言葉は、すでにあまりつかわれなくなった。代りに〈社会主義体制と資本主義体制の平和的共存〉とか〈核戦争反対〉とかいう言葉が流布されている。言葉が失われてゆく痛覚もなしにたどってゆくこの推移は、思想の風流化として古くからわが国の思想的伝統につきまとっている。けっして新しい事態などというものではない。当人たちもそれをよく知っていて、階級闘争と平和共存の課題の矛盾と同一性を発見するのだというよ
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