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認識論・存在論に関するchanmのブックマーク (7)

  • 「多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス(三浦俊彦)」読んだよ - finalventの日記

    多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス: 三浦 俊彦 「私」 のいない宇宙はありえたのか 超能力も輪廻も終末もオカルトも、『トリック』 も幸福論も多宇宙も。なぜ論理を尽くさないのか? 厳密なロジックで誤謬を暴き、「人間原理」 で錯覚を正し、観測主体(意識)と宇宙とのあいだを解明する。 【目次】 まえがき 序 この世に生まれることの難しさ / 輪廻の必然性 1 「私」 という不合理 2 純粋個体と純粋自我 3 繰り返す 「私」 4 重なり続ける 「私」 Ⅰ 超能力と超難問 1章 語用論的独立性 ――仮説と証拠の、正しい関係 1 〈手品〉と〈この手品〉 2 〈予言〉と〈首輪の予言〉 3 仮説確証のための必要十分条件 4 〈全体的証拠の同定〉と〈語用論的独立性〉 2章 意識の超難問 ――疑似問題から純問題へ 「私はなぜ他の誰でもなく、三浦俊彦なのか」 の誤謬 1 意識の 「超難問」 ? 2 

  • 一部でありがちな増田 - finalventの日記

    ⇒そんな技術力は誰も持ってないけど この手の幻想、フランスのカルトなんかも主張してたな。 「私」というのは、道元の言う有時の存在なんですよ。今、ここにのみあり、全体とともにある。 うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に邊際をつくさずといふ事なく、處處に踏せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり。以命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、その壽者命者あること、かくのごとし。 つうわけで、「私」というのはこの有時そのものなんですよ。コピーできないのな。

    一部でありがちな増田 - finalventの日記
    chanm
    chanm 2008/02/25
    ”「私」というのは、道元の言う有時の存在なんですよ。今、ここにのみあり、全体とともにある。”
  • [書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル): 極東ブログ

    書を読んでいる姿を人に見られ「何を読んでいるの?」と聞かれ、手渡したところ表題を見て顔をしかめられた。内容を理解しようとしていて、うかつにも表題のことなど念頭になかったので、ふと表題を思い出してから、あたふたした。「いやそのそういう表題のというわけじゃないんだけど……」とつい弁解が先に立ったが、私に向けられた疑念の表情は消えなかった。やっぱりこいつトンデモじゃん……ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者の諸賢にそう思われてもしかたないものばかり読んでいる。 表題だけじゃない。帯もこうだ。「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照) “心ある道”を生きるための心理学。 私たちは複数の次元、パラレルワールドに同時に存在しており、病は、叡知に満ちた普遍的次元からのメッセージを知る手がかりとなる。量子論、シャーマニズム、東洋思想の考え方を援用しつつ、深々とした生のリアリ

    chanm
    chanm 2008/02/03
    ”ミンデルの考えには、先行して無意識が不可分な実体であるという前提があり、その説明が量子力学を頓珍漢に引き寄せているとみてよいだろうと思う。”
  • まちょっとノート - finalventの日記

    ぼんやり考えていて。 これの変奏かもだが⇒finalventの日記 - 曇天、降雨確率50% I am a teacher.というときの、I-am存在、と a teacher の関係なのだが。 a teacherというのが存在である、というとき、密かに無名のI-am存在が内包されている。が、むしろ、世界の側の分節がa teacherを存在たらしめている。 以前はこう考えた。 客観世界があるというのではなく、我意識の根底に、諸法の仏法なる時節、の大きな構造があり、その全体的な、宇宙的な意識構造とかいうとトンデモ臭いが、そういう意識を成立させる根底性(つまりは生命というのは意味関係の依存で成り立っている)があり、諸法の仏法なる時節において、諸法に我が想定されているとしてよいのではないか。だが、その仏法=意味構造の根底性というのは、時間=この今、に限定されており、我とはそれぞれが今というこの時点

    まちょっとノート - finalventの日記
    chanm
    chanm 2007/09/25
    a teacherが現れたときに初めてI amが同時に出現出来る感じはなんか少し分かります
  • 物象化論だけど - finalventの日記

    ⇒草日記 - 「はてな村」物象化論 序説 まあ、異論とかじゃなくて、ふと思い出したんで。 ちなみにウィキペディアを見たら⇒物象化 - Wikipedia マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ゲオルク・ルカーチや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。 うひゃ、げろ懐かしい。 ほいで⇒[編集] 廣松渉の物象化論 : 物象化 - Wikipedia ま、どうでもいいんだけど、と、はてダを見ていたら。 ⇒オオツカ´ - マルクス主義の疎外論超克説について(mixiの自コミュに書いたもの) 今まで疎外論から物象化論という廣松渉の論点を鵜呑みにしていたんですが、テキストクリティークからすると結構疑わしいみたいですね。 まあ、時代的な制約とか日的な風土とかもあるんだろうけど、ま、廣松渉はちょっとみたいのはある。同じ事はヴェーバーと大塚久雄でもそうかもだけど。 で。 もし、疎外論がマ

    物象化論だけど - finalventの日記
    chanm
    chanm 2007/09/25
    疎外について/そうか精神現象学刊行200年だから最近巷で特集されてるんですね。
  • そういえば縁起論だが - finalventの日記

    あれから時折考えたのだが、大筋として、十二支縁起は別に間違ってもいないというか、十二支縁起には時間は含まれていないなと考えなおした。 ⇒十二因縁 - Wikipedia ただ。 ⇒縁起 - Wikipedia すなわち有・無によって示される空間的にも、生・滅によって示される時間的にも、すべての存在現象は、孤立してでなく相互の関係性によってのみ現象していることが説かれている。 釈迦がさとったように、いっさいのものは、独一存在でなく、無我である。しかし、すべてが無我でありながら、価値を持ち、存在性を持ちうるのは、すべてが縁起であるからである。この関係においてのみ存在者は存在性を獲得することができる。 この空間とか時間とかの説明はやっぱり間違っていると思う。特に、「生・滅によって示される時間的にも、すべての存在現象は、孤立してでなく相互の関係性によってのみ現象している」は違うでしょう。 諸法の仏

    そういえば縁起論だが - finalventの日記
  • 量子力学関係というか実在論関係の本 - finalventの日記

    昔は好きでよく読んだものだが、実家に死蔵しているものは古過ぎる(超ひも理論とかもあるが)。 私の考えに、もし関心のある人がいたら、以下の4冊をお勧めします。良書という意味ではないです。トンデモなのかもしれませんし。ただ、私に面白かったことは確かです。 たぶん、こうした問題は、実際には物理学の専門家の領域ではないのでしょう。 「現代物理学にとって実在とは何か: 」 「「量子力学の反乱」―自然は実在するか?最新科学論選書: 」 「量子と実在―不確定性原理からベルの定理へ: 」 「時間と自我: 」 今、アマゾンを見たら、これも面白そうですね。 不完全性・非局所性・実在主義―量子力学の哲学序説 著者:マイケル・L.G. レッドヘッド 他 販売:みすず書房 価格:\5,040 媒体:単行 通常2日間以内に発送 書評とかざっと見たけどなさげ。どっかの大学の教科書にもなっているのでしょうか。

    量子力学関係というか実在論関係の本 - finalventの日記
    chanm
    chanm 2006/03/09
    たのしそー。。理解できるかはさておき。
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