一方、朝廷も政権は受け取ったが、それを動かす行政組織も人材もおカネもなく、さらに自衛するための軍隊もない。 慶喜が将軍も辞退すると申し出たが、しばらくは慶喜に政務を委任するというしかない。龍馬の構想も具体化には至っておらず、ここにまったく政権主体のあいまいな空白の状態が生まれた。 その間隙を突くために、しばらく時間稼ぎをしたい薩摩は、10月17日に小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通の3人が長州に行って相談するために姿をくらませた。薩長の同盟の絆を確かめ、あくまで武力討幕を目指す決意を確認しようというのである。長州は「討幕の密勅」を受けた形で、出兵の準備を行い、3人が戻ってきた薩摩でも、軍勢を整えて京都に出撃する態勢に入った。 だが、両藩の中でさえ、将軍が政権を返還して一大名になったのであるから、武力で倒すことはないという意見があった。 同じ考えが公家の間でもあったようで、「討幕の密勅」に署名し