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れ:歴史とめ:明治維新に関するchiaki99のブックマーク (3)

  • 明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業

    一方、朝廷も政権は受け取ったが、それを動かす行政組織も人材もおカネもなく、さらに自衛するための軍隊もない。 慶喜が将軍も辞退すると申し出たが、しばらくは慶喜に政務を委任するというしかない。龍馬の構想も具体化には至っておらず、ここにまったく政権主体のあいまいな空白の状態が生まれた。 その間隙を突くために、しばらく時間稼ぎをしたい薩摩は、10月17日に小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通の3人が長州に行って相談するために姿をくらませた。薩長の同盟の絆を確かめ、あくまで武力討幕を目指す決意を確認しようというのである。長州は「討幕の密勅」を受けた形で、出兵の準備を行い、3人が戻ってきた薩摩でも、軍勢を整えて京都に出撃する態勢に入った。 だが、両藩の中でさえ、将軍が政権を返還して一大名になったのであるから、武力で倒すことはないという意見があった。 同じ考えが公家の間でもあったようで、「討幕の密勅」に署名し

    明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業
  • 明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業

    まさに幕府自らにより「慶応維新」というべき変革を成しとげたのである。のちに無理やり戊辰戦争を引き起こし強引に新政府をつくった「明治維新」とは明らかに違う無血革命であった。 この日は、龍馬にとっては「新国家」樹立に向けて出発の日となった。「薩長史観」により、このことはうやむやにされてきたきらいがあるが、150年目を迎えた今、はっきり認識すべきであろう。 新国家設立に向けた龍馬の動き 坂龍馬は、翌月の11月10日に、福井藩の重役で京都に滞在中であった中根雪江(ゆきえ)に宛てた手紙を書いていた。それは同藩士の三岡八郎(由利公正・きみまさ)を早く新政府に出仕させてもらいたい、というものである。そこには財政に詳しい三岡が必要で、1日先になれば「新国家の御家計(財政)の成立が1日先になる」と出仕をせかせる内容である。 ここに「新国家」とあるのは、大政奉還されたのが10月14日であるから、1カ月の間に

    明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業
  • 明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業

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