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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (5)

  • 早熟の天才セードルフ。こんな変わり者に監督をやらせるのはミランしかない

    サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki 【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ミラン監督に就任したセードルフの素顔(前編) クラレンス・セードルフがミラノのリナテ空港に降り立ち、サン・シーロ・スタジアムへ向かう車に乗り込むと、イタリアのテレビ局は車がスタジアムに到着するまで彼を生中継で追いつづけた。ACミランの新監督となった37歳のオランダ人は、そんな期待のなかでミラノにやって来た。だがセードルフは、これしきのフィーバーに驚く人物ではない。田圭佑の新しいボスとなった彼は、監督という仕事が自分の天職であることをまったく疑っていない。 ミランのクラレンス・セードルフ監督(左)と田圭佑(BUZZI/FOOTBALL PRESS) セードルフには監督の経験がないものの、彼の頭の中では16

    早熟の天才セードルフ。こんな変わり者に監督をやらせるのはミランしかない
    chroQ
    chroQ 2014/01/31
  • 山口素弘が語る「横浜フリューゲルスの思い出」

    Jリーグ20周年特別企画 Part.2 1993年のJリーグ創設以来、最大ともいえる事件は、1998年10月29日に起こった。横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併(※)された出来事だ。フリューゲルスのキャプテンを務めていた山口素弘氏(現横浜FC監督)が、当時を振り返ってくれた。 ※横浜フリューゲルスの出資会社のひとつであった佐藤工業が、経営不振のため撤退を表明。もうひとつの出資会社であった全日空は当時経営が振るわず、単独でチームを支える余力がなかった。そのため、横浜マリノスの親会社である日産自動車と協議をした結果、マリノスにフリューゲルスが吸収合併されることになり、横浜フリューゲルスは事実上消滅することになった。 ■ボランチ・山口素弘の基礎を作ったクラブ 横浜フリューゲルス。それは、「ボランチ・山口素弘」の基礎を作ったところであり、プロとしての基盤となった場所。最初は、加茂(周)監督

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  • 【S・クーパー】ドイツ代表GKはなぜ自ら命を絶ったのか|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|World Football

    サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki photo by Getty Images 【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ロベルト・エンケの悲劇(前編) 2009年11月10日、ドイツ人GKのロベルト・エンケは幼い娘にキスをして、にじゃあねと言って家を出た。所属するクラブ、ハノーファーの練習に出て、6時半ごろには戻るから、と。 暗くなってもエンケは帰ってこなかった。はGKコーチのヨルング・シーベルスに電話した。今日の練習の後、うちの人は何時ごろ帰れるでしょうか?「電話の向こうに沈黙が走った」と、ロナルト・レングは著書『短すぎた命──ロベルト・エンケの悲劇』に書いている。「ようやくシーベルスが言葉を選ぶように言った。『今日は……練習はありませんでした』」 エンケは家を出てから8

  • 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | ドロップアウト | 金古聖司

    「僕はプロサッカー選手ですよね?」 南国特有の雷雨が、何かを訴えかけるように激しく地面を叩くと、たちまちアスファルトに水溜まりを拵(こしら)えた。短気で飽きっぽい雨雲が15分足らずで立ち去り、入れ替わるように灼熱の太陽が顔を出す。太陽は雨雲の尻ぬぐいでもするように地上を乾かし、辺りにはうんざりするような熱気と湿気が充満した。赤道近くに位置し、年中高温多湿のシンガポールという国で、それはありふれた光景だった。 2009年春。短パン、Tシャツ姿の彼は自転車で練習場へ向かうところだった。 「中学の部活かよ」。自分に突っ込みを入れながらペダルを強く踏み込むと、噴き出してきた汗で洗い立てのシャツがぐっしょりと濡れた。マイカーを持たなかったのは暮らし始めて間もないのもあったが、自動車税が目をむくほどに高く、自転車で十分事足りたからだ。試合の日は自宅近くの停留所でバスを捕まえて集合場所に向かう。日では

    chroQ
    chroQ 2009/07/25
    ホント怪我さえなければなあ...
  • 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | ドロップアウト | Vol.7玉乃淳 F・トーレスと2トップを組んだ男の10年

    2009年4月26日、正田醤油スタジアム群馬。雨雲に覆われた空は暗く、光が射し込んでくる気配はどこにもなかった。彼はずぶ濡れになりながら、ピッチ脇でウォームアップを続けていた。 「いつでも行けるのに」。募(つの)る焦りをかみ殺すのに必死だった。ベンチから交代選手が呼ばれる。0−2でリードされ、ホームチームとしては攻撃的選手を投入する展開。しかし呼ばれたのは高卒ルーキーだった。 「交代枠はもうひとつ残っている。最後までチャンスを待つんだ」。心を奮い立たせ、辛抱を決め込んだ。 2009シーズン、J2ザスパ草津に入団した彼は9節までわずか22分間の出場にとどまっていた。この日の対戦相手は古巣の東京ヴェルディだっただけに気持ちも高ぶったが、「焦るなよ」と自分に言い聞かせ、感情を理性で押し殺した。試合は淡々と流れ、ロスタイムに入った。スタジアムに熱がわき起こるようなシーンは訪れず、チームは交代枠を残

    chroQ
    chroQ 2009/07/03
    確かに細すぎてこれはちょっとダメだろと思っていたけど。/まだ25なんだから全然OK。頑張って欲しい。
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