二分間憎悪(にふんかんぞうお、Two Minutes Hate)とは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する架空の行事。作中の専制国家オセアニアの党員たちは毎日仕事を中断してホールに集まり、大きなテレスクリーンの前で、党と人民の敵(特にエマニュエル・ゴールドスタインとその一味ら)が登場する映像を見せられ、画面上の敵の姿や敵の思想に対してありったけの憎悪を見せなければならない「日課」である。 二分間憎悪でテレスクリーンに流される映像や音響は党員たちの心に反射的な恐怖と憤怒を沸き起こらせる。「油の切れた巨大な機械がきしむような身の毛もよだつ摩擦音」[1]が爆発的に轟くのと同時に映像が始まり、党の裏切り者で人民最大の敵エマニュエル・ゴールドスタインの姿が現れ、党員たちは非難の唸り声をあげ、やがて30秒もたたないうちに怒号をあげるようになる。映像の中のゴールドスタインは誇張
フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれないことに、言いようのない恐怖を感じている。 先に断っておくが、私は女性で、社会で働く立場にある。 女性が女だからという理由だけで不当な扱いを受けるのは当然嫌だし、男性が男だからという理由だけで不当な扱いを受けるのもおかしいと思う。 そういった、現実に蔓延る性差別を無くしていくためのフェミニズムは、支持している。性による違いは出来る限り理解し合い、なおかつただ性別のみによって差別されることのない世の中になっていってほしいと思っている。 でも、そのために創作物を捻じ曲げるのは、恐ろしいと感じてしまう。 その媒体を問わず、私は創作物というものが好きだ。 ここで言う創作物は、フィクションを取り扱ったエンタメ作品くらいの意味合いだと思ってほしい。エンタメ作品にも色々定義があると思うけど、「こうしなければならないというような教材ではなく、視聴者読者プレ
植本一子(うえもと・いちこ) 1984年、広島生まれ。写真家、作家。2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟から優秀賞を受賞。著書に『働けECDーわたしの育児混沌記』『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』『フェルメール』など。 自分の中で流れている時間、その瞬間の感覚を大切にした ――この本は日記形式になっていますが、一冊の本としてまとめるためにどのような調整をしたんですか? 本にするためにつじつまを合わせるような調整は特にしませんでした。文章的に気になるところは直しましたけど。この本は雑誌「文藝」の連載「24時間365日」と「トーチweb」の連載「行けたら行きます 15~20」をくっつけたものなんです。もともと編集さんからは「私の中で流れている時間を大切にしてほしい」と言われていました。一日ごとの特異性、例えば昨日「嫌い!」と思ったことが今日は「好き」となっても良いというか。誰しも
東京五輪・パラリンピックの開幕が迫っている。スポーツの感動に国境など関係ないように、文学の世界でも言語や文化、宗教といった壁を超えて読者の心を揺らす作品が日々紡がれている。そんな現代の世界文学の魅力をシリーズ「文学五輪」と題して届けていきたい。初回は日本語とドイツ語で創作するドイツ・ベルリン在住の多和田葉子さん(59)。ノーベル文学賞に最も近い日本人の一人、との評価もあるバイリンガル作家だ。 (文化部 海老沢類) 日独両言語で 多和田さんは早稲田大卒業後の1982(昭和57)年、ドイツ・ハンブルクに移住。日本よりも先にドイツで作家活動を始めた異色の経歴を持つ。三十数年にわたり日独両言語で前衛的な小説や詩などを書き、日本の著名な文学賞を軒並み受賞。ドイツで権威のあるクライスト賞を日本人で初めて受けている。日独の往復だけでなく、朗読会などで世界を忙しく飛び回る旅する作家だ。 「海外にいると常に
畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。それは「日本人はどうも抗議(プロテスト)する義務を知らないから困る」というのである。 これはなかなか味のある言葉で、何か不正なことがあった場合に、それに抗議を申し込むのは、権利ではなくて義務だというのである。 例えば、電車に乗る場合に、乗客が長い列を作って待っている。やっと電車が来て、乗客が順々に乗り込む。その時脇からうまくその列に割り込んで、電車に乗ってしまう人がよくある。そういう時に、特に婦人の場合などには、自分の前に脇から一人くらい割り込んで来ても、一寸いやな顔をするくらいで、そのまま黙ってその人について乗ってしまうことがよくある。 この場合、その人はもちろん「横から割り込んではいけません」と抗議を言うべきなのである。それを、ずるずるに黙許してしまうことは、一つの道徳的な罪悪であることを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、無闇
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 《歌意》マッチに火を点けると、火に照らされて海に霧が深く立ち込めている情景が浮かび上がる。私が命を捧げて守るに値するほどの祖国はあるのか。 《解説》 場所は波止場、時間は夜に近い夕暮れだろうか。暗がりの中、ロングコートを着た男が独り海を見つめ、タバコに火を点すという場面が目に浮かぶ。乳白色の霧の中にて、マッチの炎の周囲だけが赤く照らされる。やや日活の無国籍アクション映画のような場面を想像してしまうのは、コートを着た寺山修司の写真が記憶にあるためかもしれない。 寺山のこの歌は、1957年1月に出版された作品集『われに五月を』の「祖国喪失」と題された一連に収録され、さらに翌年出版された歌集『空には本』にも収録された。歌人が「身捨つるほどの祖国」と詠う背景には、太平洋戦争において、大日本帝国のため、天皇のためと信じて、戦い死んでいった上の
2019.05.10 08:05 日本にはもっとロルカが必要だ!~「生産性のない」人々の物語『イェルマ』 皆さんはフェデリコ・ガルシーア・ロルカをご存じですか? 1920年代から30年代にかけて活躍したスペインの著名な劇作家・詩人ですが、同性愛者で革新的な考えの持ち主であったため、1936年、スペイン内戦の最中にファシストに暗殺されました。三島由紀夫や天本英世がロルカ好きとして知られていたので、以前はかなり知名度の高い作家だったのですが、最近は名前が目に触れる機会が少なくなっているかもしれません。 ロルカは多数の詩を残した他、『血の婚礼』『イェルマ』『ベルナルダ・アルバの家』という3つの悲劇を書いており、どれも今なお上演される人気作です。ロルカというと生まれ故郷であるアンダルシアの風土に根ざした土着性、象徴性、激しい情熱などがよくとりあげられますが、この記事で私が論じたいのは、ロルカの戯曲
2017.05.10 12:00 女はなぜ悪い男にばかり引っかかるのか?~『西の国のプレイボーイ』に見る良い男、悪い男 「女性は善良な男なんかに興味ないんだ!」と善良な男性たちは、話を聞いてくれる善良な女性にむかって、ビールをあおりながらわめく。(中略)でも、そういう男性たちをよく知ってみると、じつは、自分で思っているほど善良な人間ではないことが多いのだ。(カレン・ジョイ・ファウラー『ジェーン・オースティンの読書会』中野康司訳、ちくま文庫、2013年、94ページ) 女性はなぜ善良な男性を差し置いてワルばかり好きになるんだ? というのはしばしば男性の口から聞こえてくる疑問です。この疑問に対する答えとしては、上に引用した一節が最短にして最適の答え……かと思います。そもそも自分を善良だと思う時点で若干、うぬぼれのにおいがしますから、悪いとまではいかなくても感じは良くないですね。この疑問は女性には
2016年に東大生5人が起こした強制わいせつ事件をモチーフにした小説『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ/文藝春秋)は、実に473ページにも及ぶ長編作品だ。 一人の女子大学生に大量の酒を飲ませ、マンションの一室に連れ込んで暴行を加えたこの事件は、2003年に集団強姦事件を起こした早稲田大学のサークル「スーパーフリー」を想起させるものでもあったし、また同時期に慶應大学や千葉大医学部の学生が相次いで同様の事件を起こしたこともあって、当時大きな話題となった。 どれも「酒を飲ませて暴行を加える」という点では共通している。しかし、他の事件がセックスを目的としていたのに対し、東大生の起こした一件で性行為そのものは行われていない。彼らがしたこと、それは「女子大学生を集団でいたぶり、おもちゃのように扱って盛り上がる」という行為だった。
(2018.08.12追記)この問題のあと、Twitterで以下のタグが出現して、盛り上がっています。Twitterらしいスマートな応援の仕方で、いいですね。私もちょっとだけ推挙しておきました。 twitter.com 以下オリジナル本文です。 ■勉誠出版がネトウヨ化しているというツイートを見て、へ?と見に行ったら、ほんとにすごいことになっていた。 e-bookguide.jp なんかゴタついたり、知り合いの編集者が出ていったりしていたが、こっち系の悶着もあったのだろうか… ■個人的にも、けっこう心のダメージ大きい。 こうなっちゃったことについてもショックだが、こうならざるをえなかった出版の現況を、突きつけられる。 藁をもすがる。愛国阿片をもすがる、出版の今。 しかも良心的な本を出してきた学術出版社が、だ。 ■業界の人間の一人として、単純に勉誠出版を責めて終わりにはできないと感じている。も
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