テレビの時間性は想像の共同体の形成を持ってしてその責務を負う 前川さんの2月5日のポストの(4)には、「テレビの時間性」について、権力によって許しがたい事実でも呈示してしまえる存在、これがテレビの可能性である、ということが述べられている。では、その可能性をテレビは突き詰めているのだろうか? テレビが活躍する場は、政治と生活の幅のギャップにあり、そこで制度的担保による情報編集作業を行なうのがテレビである(メディアノートNo.29、関連12月24日前川さんポスト)というが、送り出す情報が視聴者同士で共鳴、共有されなければ、テレビが担保された責務は完了されたとはいえない。 まさに、テレビの孤独な視聴とインターネットの関係性、時間の空間性(メディアノートNo.138)を完結するのが、テレビメディアの可能性であろう。 しかし、視聴者が、テレビが送りだした情報を、茶の間、職場で話題を共有したのは、テレ