「地には平和を」は、小松左京が、1960年、早川書房の「SFマガジン」における「第一回空想科学小説コンテスト(後のSFコンテスト)」の募集を見て、3日で書きあげたものです。 結局、選外努力賞に終わりましたが、この作品がきっかけでSF作家としてデビューし、「地には平和を」も直木賞候補となりました。 小松左京は、戦時中、軍国主義のスパルタ教育の旧制中学で日々ビンタの洗礼を受け、食べ盛りなのに食糧の配給もままならず、神戸空襲では自宅に焼夷弾が落ちるなど、辛い日々を過ごしており、一億総玉砕をうたう本土決戦も現実になりつつありました。 「地には平和を」書いた時の気持ちを次のように述べています。 その時に思ったのは、「自分の戦争」というやつに落とし前をつけておこうということね。ほんの一足ちがいで実際の戦争には行かなかったけど、次は自分たちだと身構えていた。 つい上の世代はどんどん特攻隊で行っちゃうし。