[はじめに] 2004年4月、イラク中部ファルージャのガソリンスタンドで、女性1人を含む日本人3人が小銃で脅され、拘束されて、近くの民家に連行されたというニュースが日本中を駆けめぐった。その後、3人の救出をめぐって、水面下での交渉がなされた結果、事件発生から8日後、人質となっていた3人は解放される。3人を連行したグループは、地元の若者たちからなる「素人集団」であったと報じられた。 その半年後の10月、一人の日本人男性が、イラクにおいて拉致、殺害されて、遺体が路上に放置されるという事件が発生した。この邦人男性拉致殺害を実行したとされる、フセイン・ファハミ・バドルという人物が、事件から1年半後の、2006年3月に逮捕され、彼の供述から邦人男性の拉致殺害に関わったのは6人であることが判明する。6人のうち4人はすでに逮捕されているが、残る2人はイラク内部省が行方を追っているという。さらに、この邦人
今日の相談者:35歳、東京・男性No.009 「先日、鬼六先生の初期の作品『大穴』を買って、面白く読みました。鬼六先生の膨大な作品群のなかで、何を読めばいいですか」 鬼六先生はこれまでにどのくらいの本を書かれたのですか 300冊くらいかな。正確には分からないけど、かなり書きました。原稿枚数で言えば、一番多いときには、月に500枚くらい書いてた。今から考えれば随分、仕事したなぁ。あのころは1日に平均30枚から40枚書いていたし、『花と蛇』を連載していたころは、徹夜で70枚書くこともザラでした。昭和40年代から50年代にはSM雑誌が百花繚乱(りょうらん)たる勢いで各SM雑誌のすべての巻頭小説を書いていた時代もあって連載は8本に及んでいた。 今はファクスやメールで原稿を渡すけど、当時は編集者が家に原稿を取りに来てたでしょ。泊まり込みの編集者に、原稿できたで、と封筒を渡す。編集者は喜んで社へ飛んで
2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。 これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。 慶応4年(1868)2月15日、堺で土佐藩士がフランス水兵に斬りかかりフランス側に即死2名・溺死7名・負傷7名の犠牲が出るという事件が起こりました。 歴史上“堺事件”と呼ばれる騒動ですが彦根とは全く関係がありません。しかし、井伊直弼が「開国」という決断を行った後に日本が世界の中で生きる為にこういう結果をも生んだという意味で、『井伊直弼と開国150年祭』開催中の今だからこそ取り上げられる話の一つとしてご紹介します。 実は開国後には、これくらいの事件は日常茶飯事に起こっていた事なのですが、この後の経過が「日本人=ハラキリ」という図式を海外の人に示すことになります。 その紹介のついでに、日本史の中で度々行われる切腹について書いていこうと思います。 まずは堺事件の経過ですが・・・ 翌日にフラ
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