日清・日露戦争や太平洋戦争などの戦没者を追悼するために並んで建つ石碑。左端奥は満州移民の慰霊碑=金沢市の野田山で2019年8月8日、阿部浩之撮影 近代の金沢は、取りも直さず「軍都」であった。金沢という街は、地政学的に見れば日本海を挟んでロシア・中国・朝鮮半島と向かい合うわけで、明治政府にとっては極東における国際関係の要衝として認識された。日清戦争後、ロシアとの直接対決の情勢を感じ取った軍は、金沢の地に第9師団を置き、戦争に備えることとなった。 現在は石川県が管理する金沢市の野田山の戦没者墓苑(ぼえん)は、こうした経緯から長年にわたって陸軍が整備してきたわけだが、ここを訪れると日本の近代を俯瞰(ふかん)することができる。歴史的に知られた戦役に関しては特に大きな墓碑が建てられており、日清戦争、日露戦争などを経て、太平洋戦争の忠霊碑に続く一連の景観は、アジアの小国が瞬く間に国際政治の表舞台に登場