「緊急事態だ」として、法律を一時とりやめ軍が政治を握る法令が戒厳令です。始まりは、フランス大革命にさかのぼります。王が外国へ逃亡を図ったことで、共和制を求める声が強まった1791年7月のことです▼パリの練兵場で民衆が共和制の請願の集会を開いたとき、議会が市長に命令して戒厳令を敷かせました。戒厳令の印に赤旗を立て、国民衛兵軍が群衆に発砲しました。多くの死傷者が出て、政治クラブは解散、民主主義的新聞も発行停止になりました▼しかし、パリの民衆は翌年に準備を整え、王制をやめ共和制まで進もうと決起。先頭に翻(ひるがえ)った赤旗には「行政権の反乱に対する民衆の戒厳令」と書かれていました。弾圧の象徴とされた赤旗が、今度は民衆のたたかいの象徴となったのです▼準備した一人が書いています。「それは復讐(ふくしゅう)の旗ではなかった。自己の権利を意識する新権力の輝かしい旗であった。だからこの時以来、無産階級がそ