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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (35)

  • 1785夜『現代アートとは何か』小崎哲哉|松岡正剛の千夜千冊

    ヴェネツィアで見て、バーゼルで買う。 これが現代アート業界の合言葉だ。ヴェネツィア・ビエンナーレで品定めをし(隔年開催)、アート・バーゼルでめぼしい作品を手に入れる(毎年開催)。2つのフェアの開催地と開催期が近いこともあって、いつのまにかここにアートビジネスのグローバルな日付変更線だか変動相場制だかが、賑やかに、曰くありげに、生き馬の目を抜くようにできあがっていた。 ヴェネツィア・ビエンナーレは国単位で出展される。各国のパビリオンには毎年コミッショナーやディレクターが選ばれてコンセプトやテーマを設定し、それにふさわしいアーティストたちが制作にあたる。一方のアート・バーゼルには世界中の300近いトップギャラリーが参加するが、招待状がなければ入れない(いまはアート・バーゼル香港、アート・バーゼルマイアミ・ビーチもある)。 どちらも画商とお金が動くが、むろんそれだけではない。アーティストも批評家

  • 1159 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    最初に白状しておくが、このの461ページでぼくは不覚にも涙ぐんでしまった。 石岡瑛子はソルトレイク冬季オリンピックのために、デサントがサプライヤーとなるレーシングウェアとアウターウェアをデザインした。そのひとつ、セレモニーウェア「ガラ・コート」を着たスイス選手団が、ゴールドメダリストのシモン・アマンの掲げる国旗を先頭に入場してくる場面のくだり。 選手団が着ているのはデサントが開発したモルフォテックス素材を銀色に仕立て、裏を真っ赤に染めたマキシコートである。赤は石岡瑛子の勝負の色だ。それが一瞬、厳寒の風にあおられて翻った。ウォー・ウォーという歓声がどよめいた。凍てつく観客席にいた石岡瑛子も小さな握りこぶしを挙げた。 デサントのプロジェクトは難産につぐ難産だったようだ。石岡瑛子はもはやこれでは仕事を全面的に降りるしかないというところまで追いつめられていたのだが、それが乾坤一擲、事態が一転して

    1159 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1212 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    時間と自由 アンリ・ベルクソン 白水社(ベルクソン全集1) Henri Bergson Essai sur les Donnees Immediates de la Conscience 1889 [訳]平井啓之(白水社版)・中村文郎(岩波文庫版) 物質は記憶か。時間は持続か。 自由は、エラン・ヴイタールか。 あえて形而上学に挑み続けたベルクソンを いま、どう読むか。 ぼくをかつて揺動させたフランスの「生の哲人」は、 なお何を、語り告げようとしているのか。 それはまた、あの稲垣足穂の「機械学」の香りと、 どんなふうに交信していたのか。 パリ九区を友人二人と歩いていたら、一人が「ここはベルクソンが生まれたところでね、ここのリセ・フォンタネで古典や数学をやったんだ」と言いだした。リセ・フォンタネは今のリセ・コンドルセだ。 ソルボンヌを出て、その時は小さな版元をしていたそのフランス人の友人は、続

    1212 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1290 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡 ジュリアン・ジェインズ 紀伊国屋書店 2005 Julian Jaynes The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind 1976 [訳]柴田裕之 原始古代のある時期まで、 人類の脳はバイキャメラル・マインド状態にあった。 それがあるとき崩壊して、やがて「意識」が生まれた。 その意識をつくったのは「言語」だった。 比喩の力と物語の力のせいだった。 そんな途方もない仮説を ジュリアン・ジェインズが構想した。 それにしてもバイキャメラル・マインドとは何なのか。 あまりに大胆な仮説と構想に、 多くの者は呆然とし、そして沈黙してしまった。 いま、その一端を蘇らせてみたい。 火元 君たち、連想は得意だよね。 学衆 編集術の基ですからね。 火元 じゃあ、制限連想は? 学衆 まだ

    1290 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1102 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    コンセプチュアル・アート トニー・ゴドフリー 岩波書店 2001 Tony Godfrey Conceptual Art 1998 [訳]木幡和枝 コンセプチュアル・アートはデュシャンの『泉』ではなくて、レンブラントの『聖家族とカーテン』(1646)に始まっていた。のみならず、マネの『フォリー=ベルジェールのバー』(1882)もマラルメの『骰子一擲』(1897)もコンセプチュアル・アートだった。いや、芸術がつねに概念(コンセプト)であるとするのなら、コンセプチュアル・アートは芸術の開闢とともに始まっていた。 しかし、1967年にソル・ルウィットが『コンセプチュアル・アートに関するパラグラフ』で、また1969年にジョセフ・コスースが「哲学のあとの芸術」でコンセプチュアル・アートの定義を初めてしようとしたことに従うなら、その前哨戦はさかのぼってもキュビズムまでということになる。 ピカソが『籐椅

    1102 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

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  • 0318 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    メイプルソープ パトリシア・モリズロー 新潮社 2001 Patricia Morrisroe Mapplethorpe 1995 [訳]田中樹里 イングリット・シシーが小さな体で笑って、「玉三郎の代わりにセイゴオだっていいよ」と冗談を言った。隣りで木幡和枝が「じゃあ、鷺娘を踊ってみせなくちゃね」と笑った。 そのころシシーが編集長をしていた「インタヴュー」誌の表紙の話である。むろんシシーは玉三郎を口説きたかったのだが、文の特集の中身が決まらず、ぼくにあれこれ相談をしたかったようだった。ソーホーのレストランで会った。シシーは愛嬌のある人だが、アートや人間を見抜く目は抜群で、そのころはアジアや日に目をむけていた。玉三郎に注目していたのもそのせいなのだが、たんなるエキゾチックな歌舞伎趣味でなく玉三郎をとりあげるにはどうしたらいいか、悩んでいた。 そのシシーがホイットニー美術館で開かれたメイプ

    0318 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1230 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    一般システム思考入門 ジェラルド・ワインバーグ 紀伊国屋書店 1979 Gerard M. Weinberg An Introduction to General Systems Thinking 1975 [訳]松田武彦監 訳/増田伸爾 システムとは何か。 ものごとの見方を集め、 これらを組み合わせた編集装置なのだ。 かつてぼくは、このことをワインバーグや ラメルハートやノーマンに学んだ。 いまではそれが ぼくのなかでは編集工学に育っているが、 30年前には、その学びの毛布を引きずっていること、 そのこと自体が大事な愛着だった。 久々にふりかえりたい。 このを紹介するのは、ぼくのシステム思考の揺籃期の秘密の一端を初めてあかすようで、ちょっと羞かしい。けれども、誰にだって「スヌーピー」のライナス君のように、いくら汚くなってもなかなか手放せない柔らかい安心毛布のようなものがあったはずだ。

    1230 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1182夜 『パース著作集』 チャールズ・パース − 松岡正剛の千夜千冊

    パース著作集 チャールズ・パース 勁草書房 1985~1989 Charles Sanders Peirce Collected Papers of Charles Sanders Peirce 1935, Science and Philosophy 1958 [訳]米盛裕二・内田種臣・遠藤弘 実在と記号。近似性と類似性。 イコン、インデックス、シンボルによる推論。 自然と人間の、アナロジーと編集。 このほかに発想や思考の何の骨組みがあるというのか。 19世紀後半の知の巨人パースが仮説した アブダクションの方法哲学。 ここには編集工学のAからZまでが眠っている。 いや、光っている。 これから書くことは、ぼくが長らく温めてきたきわめて重宝な仮説のひとつを、チャールズ・パースに託して遊学してみるものになる。「パースの編集工学」と「アブダクションの編集工学」の遊学だ。 千夜千冊のルール上、一応

    1182夜 『パース著作集』 チャールズ・パース − 松岡正剛の千夜千冊
  • 1673夜 『ビフテキと茶碗蒸し』 松山幸雄 − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1673夜 『ビフテキと茶碗蒸し』 松山幸雄 − 松岡正剛の千夜千冊
  • 735夜『生物から見た世界』ヤーコプ・フォン・ユクスキュル|松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    735夜『生物から見た世界』ヤーコプ・フォン・ユクスキュル|松岡正剛の千夜千冊
  • 1626夜 『ジョゼフ・コーネル』 デボラ・ソロモン − 松岡正剛の千夜千冊

    ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア デボラ・ソロモン 白水社 2011 Deborah Solomon Utopia Parkway:The life and work of Joseph Cornell 1997 [訳]林寿美・太田泰人・近藤学 編集:岩堀雅己 装幀:三木俊一 今夜はクリスマス・イブだ。ぼくは日人のクリスマス主義ともいうべき祝い方や遊び方が子供の頃から大嫌いだった。だからついついクリスマスめいた話からいつも遠のいてきたのだけれど、この夜に生まれた一人のオランダ系アメリカ人のアーティストは過越祭(すぎこしのまつり)を背負ったかのようにイブに生まれていて、ぼくの想像したいノーマルスティグマを伴うクリスマス・スートリーにふさわしく想えていた。そのアーティストの話をしてみたい。 父親は小売商人でテキスタイルデザインが得意だった。母親は幼稚園の先生で何かを想像するのが好きだっ

    1626夜 『ジョゼフ・コーネル』 デボラ・ソロモン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 1656夜『評伝ヨーゼフ・ボイス』ハイナー・シュタッヘルハウス|松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

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  • 1646夜 『人間はガジェットではない』 ジャロン・ラニアー − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

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  • 0199 - 松岡正剛の千夜千冊

    大衆の反逆 オルテガ・イ・ガセット 白水社 1980 1995 Ortega Y Gasset La Rebelion de las Masas 1930 [訳]神吉敬三 「今日のヨーロッパ社会において最も重要な一つの事実がある。それは、大衆が完全な社会的権力の座に登ったという事実である。大衆というものは、その質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである」。 こういう断定的な文章で始まる『大衆の反逆』をいつごろ読んだのだろうか。おそらく「遊」2期をつくっているころだとおもうが、大衆社会化論というものに惑わされて、ほったらかしにしていたのだとおもう。読んでみて、そうか、大衆に問題があるのか、ふーんそうか、と驚いた。 オルテガのことは60年安保で機動隊に圧殺されて死んだ樺美智子さんの父君の樺俊雄さんに教えられ

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  • 1217 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    絵画・写真・映画 ラスロー・モホリ=ナギ 中央公論美術出版 1993 László Moholy-Nagy Malerel, Photografie, Film 1924 [訳]利光功 絵画は写真でなく、 映画は写真ではないのか。 それなら、動く写真や映像文字とは何なのか。 グラフィズムとフォトグラフィズム。 フォトグラフィとフォトグラム。 異才モホリ=ナギが見せるニューヴィジョンは、 今日のコンピュータ時代にこそ 読み替え可能にものになっている。 モホリ=ナギの「ニューヴィジョン」を教えてくれたのは写真家の大辻清司さんだった。「遊」の創刊直後のころで、ぼくは桑沢デザイン研究所写真科の講師をしていた。大辻さんはその学科長で、写真の技術など何も知らないぼくに写真科の生徒を教えろというのである。 とんでもないとお断りしたのだが、「いや、イメージとは何かを教えてやってほしいのです」と言われる。「

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  • 0491 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    春山行夫という詩人がいた。明治35年生まれで、日では珍しくごく初期にダダ・未来派・シュルレアリスム・フォルマリスムのすべてに感応した詩人で、異彩を放っていた。 そのまま詩人として活動するのかとおもうと、一転、ヨーロッパの生活文化史の発掘にのりだし、一種のメディア研究者としてつねに入門書を解説しつづけた。『紅茶の文化史』『宝石』『エチケットの文化史』『ビール文化史』『西洋広告文化史』などがある。題名だけを見ると、モダンの大正昭和の先頭を走った前衛詩人がなぜにまた俗流の西洋生活文化入門のようなものに賭けるのか、もったいなくも見える。実際にもしばしば語学力とペンにまかせてというところもあって、その内容はいまではずいぶん古くなってしまっているものも少なくない。 けれども、ぼくはこのような仕事を買っている。 なぜかというと、情報文化というもの、つねにそのように輸入され、つねにそのように波及し、やが

    0491 夜 | 松岡正剛の千夜千冊