タグ

ブックマーク / photographology.hatenadiary.org (23)

  • 研究会のお知らせ - はてなStereo Diary

    久しぶりに研究会を開催します。 ぜひご参加ください。

    研究会のお知らせ - はてなStereo Diary
  • 文芸学研究会のお知らせと写真関連本 - はてなStereo Diary

    しばらく更新していなかったのでお知らせです。 ◎研究会のお知らせ 文芸学研究会 第59回発表会および第19号合評会のご案内 日時:2015年9月26日(土)14時半より 場所:神戸大学文学部A棟学生ホール(A119) 研究発表 「開いた窓」の表象を通して見る写真表現ーブルトン『ナジャ』(1928)からグルスキー《パリ、モンパルナス》(1993)までー 神戸大学 久野はるな 『文芸学研究』第19号合評 ドイツ民間伝説における死者の帰還ー「不気味」という概念と伝承の事実性ー 神戸大学 植朗子 要旨はFacebookでの文芸学研究会特設頁でも見ることができます。 ◎最近のから 写真論関係 弔いの文化史 - 日人の鎮魂の形 (中公新書) 作者: 川村邦光出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2015/08/24メディア: 新書この商品を含むブログ (9件) を見るこれは最終章に遺影に関する

    文芸学研究会のお知らせと写真関連本 - はてなStereo Diary
  • 写真、ライダー - はてなStereo Diary

    ■写真と時間と10年ライダー 仮面ライダーの新シリーズについて噂を聞き、驚いてしまう。サイトはここ。歴代ライダー9名の世界へ、写真スタジオのロールスクリーンを介してトランスポートするという、えたいの知れない枠組みがうたわれている。9年間が同時並行処理され、レイヤーとして重なる。主役たるライダーの外見もカラーパターンみたいでおぞましい。前シリーズも過去と現在を往復する、やはり一見異様な構造をとっていたとしたら、それが全面化したのがシリーズということなのだろうか。一度見てみよう。 もちろん現在写真論としても案外いろんなものが転がっているような気もする。 ■時代、顔2 1920年代後半に流行したのは、同時代の歴史を写真図版入りで概観するこうした写真集であった。さらに例を挙げれば、Franz Schauwecker『これが平和だ〔So ist der Friede〕』(1927)、MaraiとD

  • 発行のお知らせ - はてなStereo Diary

    □『美学芸術学論集』9号 がようやく発行されました。 ・・・たぶん単体では邦初のカルト・ド・ヴィジット論を書きました。生煮えの部分はありますが、もうそろそろ書いてしまおうということでした。フォトブース論、プリクラ論も続編として書く予定です。今号も以前の号と同様、まもなくリポジトリでダウンロード可能になりますので、ご笑覧ください。 □『ライフ』 写真論の基的な歴史的事象について授業で話しているのだが、フォトジャーナリズム関連で調べてみたら、グーグルブックスに有名写真のフォトエッセイ掲載号がごろごろとあがっていることに今更ながら驚く。 たとえば、ユージン・スミスのカントリー・ドクターはここ。バーク=ホワイトのルイヴィル洪水はここ。ユージン・スミスの水俣はここ。そんなの知ってるという声は多いと思うが、広告を含めたそのほかのページとの落差や並置のされかたが明瞭に分かる。 で、その後の写真史的展

  • 2か月以上 - はてなStereo Diary

    学会も終わり、引越し復路も終わり、授業も始まって科研の書類もいくつか片付いて、まだまだ片付かないことが多いのだが、そんなこんなでようやくここに復帰。気がつくと2ヶ月以上経っているのであった。 ■写真論講読 Photography Theory in Historical Perspective 作者: Hilde Van Gelder,Helen Westgeest出版社/メーカー: Wiley-Blackwell発売日: 2011/04/25メディア: ハードカバー クリック: 16回この商品を含むブログを見る非常勤ではこれを読み進めることにした。写真論の研究の現在ってあれこれ出ていてそのつどチェックしているのだが、目にとまったのは教科書的なこれ。中身は次のごとし。 1章 写真における再現表象:絵画との競合 2章 写真における時間:時間を基礎にした諸芸術との競争関係 3章 写真における場

    2か月以上 - はてなStereo Diary
  • 宙吊り、スギモト - はてなStereo Diary

    ■宙吊り 『アート&フォトグラフィ』でもしられるカンパニーの。写真と映画のいくつかの層がうまく重ねあわされた概説的な内容。写真と映画がいい按配に宙吊りにされればよいが。。。第一章 Stillness 第二章 Paper Cinema 第三章 Photography in Film 第四章Art and the Film Still. 版画からデジタル写真までの印刷物を網羅したインデックス的な。案外図版が多く、東西の各種の刷り物、もちろん初期写真の事例も入っている重宝な。プリントから版画もデジタルも宙吊りにする。 世紀転換期の写真における身体の問題を扱うには初期映画やサーカスから攻める手もあると思い、購入。アン・ドーンの『映画的時間の出現』にも連なる二冊。後者はまさに宙吊りの身体図版が満載。 ついでにさらに引っかかったを買い物リストに加える。 The Cinematic (Docum

    宙吊り、スギモト - はてなStereo Diary
  • アメリカ写真、自然保護 - はてなStereo Diary

    神戸。昼、笑顔の集合写真の後、会議会議会議会議会議。 6時間経って笑顔はとっくに消えさっているのであった。 ■新刊 現代アメリカ写真を読む―デモクラシーの眺望 (写真叢書) 作者: 日高優出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2009/06/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (14件) を見るを拝受。トラクテンバーグの『アメリカ写真を読む―歴史としてのイメージ』もアメリカ写真史の必携書(だが、扱う歴史が遠いのが難。もちろんその分写真(史)の起源が手際よくおさえられているのだが)。そういう意味で、日高さんのこの著書もたぶん基書になるだろう。連載事から興味深く読ませてもらっていた。 ■自然保護とジオラマ 『Windows on Nature』を読んでいると、自然保護という観念がしつこく繰り返され、辟易する。絶滅危惧種の保護を説き、時の大統領がそれに応じ

    アメリカ写真、自然保護 - はてなStereo Diary
  • Rolling over Photography - はてなStereo Diary

    昨日一昨日今日と3日連続の飲み会。今日は神戸で飲み。 というわけでさすがに内臓がしくしくしだすので薬を服用。 ■講演会 昨日は以前紹介した写真家畠山氏の講演に行く。 新作を含めた写真と都市の肌理の話をひとしきり聞く。 考える写真家と僕らは畠山さんのことを呼んでいる。その理由は、世界と人間と像、その技術、そのずれや摩擦についての哲学的な考察が、あらかじめのコンセプトや理論からというよりもむしろ、写真のうえで幾層ものレイヤーの重なりのなかで、鋭角的に立ちあがってくる、そんな感じをもったりするからだと思う。 その後の皆さんの飲み会にも混ぜてもらう。 前回大阪の杉氏の講演ではトルボットへの言及が、今回の講演ではナダールへの言及が何度もなされている。そうした過去の巨匠たちをとりまく19世紀写真の言説は、まだまだ掘り起こされてはいない、研究者であるひとびとは、こうしたことをもう少し淡々と紹介していか

    Rolling over Photography - はてなStereo Diary
  • ひきつづき救命治療 - はてなStereo Diary

    ひきつづき、救命病棟。 同時に電気映像論。 そしてアマチュア関連。 なおかつ諸々雑用。 今年も忙しい。 ■到着 ミニチュア写真論で未見だった写真集が届く。ついでにもう一冊注文する。 Artificial Illuminations (Motta Photography) 作者: Olivo Barbieri出版社/メーカー: Smithsonian Inst Pr発売日: 1998/10/01メディア: ハードカバー クリック: 3回この商品を含むブログを見る これらの写真についてどんな言説がでているのかも調べている。 …なるほど。予想していたといえば予想していた言説だけれど。 言説としてもっと奥行きのある議論を立てていこうと思う。 救命病棟仕事があまりにたいへんなので今日はこれまで。

    ひきつづき救命治療 - はてなStereo Diary
  • ■ - はてなStereo Diary

    ひきつづきアマチュア言説について調べる。 下記のものもひとまず買う。匿名のアマチュア写真家の手による無数の写真の展覧会が最近では美術館で開催されるようになっているという事例のため。こうした図録の編集主体が構想しているアマチュア概念も拾っておく。 Other Pictures: Anonymous Photographs from the Thomas Walther Collection 作者: Mia Fineman出版社/メーカー: Twin Palms Pub発売日: 2000/08/01メディア: ハードカバーこの商品を含むブログを見る Snapshots: The Photography of Everyday Life 1888 to the Present 作者: Douglas R. Nickel出版社/メーカー: San Francisco Museum発売日: 1998

    ■ - はてなStereo Diary
  • スナップ・アマチュア・コダックガール - はてなStereo Diary

    ■ニッケル 一昨日あげたSnapshots: The Photography of Everyday Life 1888 to the Presentを入手する。ダグラス・R・ニッケルによる解説。同著者のいくつかのもそろってきた。 これ以外にフリスやワトキンスについても写真集を編んでいる。 で、その序文を読む。ルイエ&ルマニーよりも丁寧なまとめなことは確か。 アマチュア写真家を飛躍的に増大させた80年代のボックスカメラの発売から、アマチュア写真家としての女性や子どもの表象の話、カメラクラブの形成、カメラ狂への非難、レンズ文化の新たな形成と話はつづく。 さらには芸術写真のネガとしてのアマチュア写真の話が展開される。スタジオのステレオタイプ的な写真やコダック写真家〔kodaker〕とも距離を置くスティーグリッツ、エヴァンズによるフォークアートとしての写真、フランク、キャラハン、ゴーウィン、フ

    スナップ・アマチュア・コダックガール - はてなStereo Diary
  • 歴史/文化 - はてなStereo Diary

    ■フォスター3 まず美術史〔アート・ヒストリー〕のヒストリーから、視覚文化〔ヴィジュアル・カルチャー〕のカルチャーへの移行について。 この変化には人類学への方法論的シフトが関わっている。もちろんそれが明瞭に意識されているのか否か、あるいは双子のように方向は同じでありながら互いに反発しあうかはそれぞれのケースによって異なる。とはいえ、最近の美術史における初期の美術史家――リーグルやワールブルク――への注目は、こうしたシフトと無関係ではない。例えば前者は末期ローマの美術工芸等の周縁的な対象への視点という点で、後者はインディアンの儀礼やそもそもの芸術概念の把握の仕方の面で、関心をひきおこしているのである。 もちろん、この民族誌モデル、民族誌的転回の主要な担い手は、カルチュラル・スタディーズである。高級芸術/低級芸術の区別を破砕し、価値の等価なものとしてすべてのイメージが同一平面上で議論される枠組

    歴史/文化 - はてなStereo Diary
  • VQ4、TS1 - はてなStereo Diary

    ■VQ4 バッチェンの議論に戻る。なぜバッチェンが形態学という用語を用いるのかの理由が、先のアンケートからうかがいしることができる。つまり、ヴァナキュラー写真を、科学と芸術というたんなる昔からの写真史的区分にも、あるいはジャンルという区分にも、そして確固たる主体の同一性への帰属にも、その使用の起源への帰着にも収斂しない次元を物としての写真の厚みに託すこと、それが形態学と称される。モルフォロジーという語で意図されるのは、自律的な形態の生成変化の過程ばかりでなく、物が契機になって観者と対象の諸関係が――現象学的な像の考察に見られるような志向関係とは異なる――複数の方向へとはみ出していくこと、これがこの語の意味なのかもしれない。 ■長時間露光とスナップショット T&S を久々に読み返している。ウェブにも部分的に掲載しているが、ワープロ使用時に作成した訳なので、感熱紙の傷みがもうひどくてスキャン読

  • 見て聴く一日 - はてなStereo Diary

    id:monodoiさん、 そうです。同一人物のイシダさんです。 分からない人はトラックバックで。 文庫化されていた。 桜の散る季節になると「花咲爺論序説」を想い出す。これはどこかに書きます。 諸星の文庫はちと読みづらし。 ウィキペディアの諸星大二郎の手塚のエピソードはちょっと面白い。 ■トルボットへ 今日は杉博司レクチャーを聞いて、その後に京近美のパフォーマンスへ。 レクチャーのほうは全体が1時間半、そのうち30分はスイス国営放送が最近放映したKulturplatzを流し、主要作品を簡潔に把握させたうえで、渡米した頃の作品から現在進行中の作品までの主要作品を、的確に解説した内容だった。制作の裏側があれこれ聞けたのも収穫。 これは、グッゲンハイム美術館でシリーズで開催されている《Good,Better,Best》という作家の作品制作履歴を披露する展覧会の情報に基づくものだったようだ。ロー

    見て聴く一日 - はてなStereo Diary
  • 芸術と写真 - はてなStereo Diary

    Phaidonの『芸術と写真』を持ち帰る。騙されたと思って買うべき基書のひとつ。このシリーズ、他にはこんなものがある。「写真」が面白いのは、主題でも運動でもないのに、並べられてしまってそれがこんな大部なになってしまうところ。 この『芸術と写真』とアーロン・シャーフの『芸術と写真』を比べるとまったくの地滑りに気がつく。

    芸術と写真 - はてなStereo Diary
  • クローンとしての写真、遺伝子工学としての複製 - はてなStereo Diary

    ■デジタル写真論の中のもの(写真)論 ということで、もうひとつのデジタル・コレクションを読む。昨日のサスーンも引用を少ししているバッチェン、いつも挙げるこの論集から。 タイトルはPhotogenics。フォトジェニックという言葉が写真写りがよいという一般的意味を持つのに対して、それにSを追加することで議論はめまぐるしくなる。 以下概要。 1996年コービス社(www.corbis.com)がアンセル・アダムスの電子的複製権を獲得したことが公表された。現在70万枚に達する数のイメージを世界中の制度機関から次々とそのデータ・バンクに加算していく同社は、ウェブサイト、CD-ROMを介して、その使用権を顧客に販売することを目的にしている。こうした複製への、複製の権利へのあくなき追求は、コミュニケーション、エンタテインメント、コンピュータ産業が互いに合併して形成する多国籍的な巨大な一元的市場の形成に

  • ギクシャク論 - はてなStereo Diary

    ■感想 学会で写真関係の発表がいくつかあったので感想。 バルト論は、イメージなき実在と実在なきイメージの対立を超えようとする野心的な試み。手際よく整理されて面白かった。ただし、最後の社会的な記憶や情念とつながる「真実」に行き着くだけでなく、さらにその次元が展開される議論も見てみたかったのが率直な感想。 全然関係ない話かもしれないけれど、バルト『明るい部屋』を読んでいると、19世紀の数々の写真についての言説がオーヴァーラップしてくる。写真という媒質への精妙な経験のそうした背景を読み出してみたい気もする。 ベンヤミン論は、手際よくベンヤミンの写真についての言説をまとめあげた堅実な発表。できればレンガー=パッチュの議論をもう少し掘り下げ、ニューヴィジョンの議論を対置すると、ベンヤミンのなした議論の同時代のコンテクストが照射できそうな気もした。またそもそもベンヤミンの言葉をつなぐよりも、壊して取り

    ギクシャク論 - はてなStereo Diary
  • アマチュア写真文化圏としてのリュミエール映画 - はてなStereo Diary

    サイバー大学、勢いのある芸人みたいである。しかも若手の。。。そう思うのはたぶん私だけだろう。 ■雑用 朝発表ゼミ。その後雑用をすませて就職ガイダンス。いちおう司会なのでさくさくこなす。 発表はティルマンスと安木節とエグルストン。 …一般的な話だけれど、写真をやる場合に最低限これはおさえてほしい概説書というのがある。 右は少し毛色は違うが基書。 A New History of Photography 作者: Michel Frizot,Pierre Albert,Colin Harding出版社/メーカー: Konemann発売日: 1998/11/01メディア: ハードカバー クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る  20th Century French Photography 作者: Rizzoli出版社/メーカー: Rizzoli発売日: 1988/06/15メデ

    アマチュア写真文化圏としてのリュミエール映画 - はてなStereo Diary
  • 自然の鉛筆論 その1 - はてなStereo Diary

    トルボットの『自然の鉛筆』は、1844年6月から46年8月までに6分冊の形で出版された。24枚のカロタイプがページに貼付される方式で挿入されている――写真図版の数は第一巻が五、第二巻七、第三巻三、第四巻三、第五巻三、第六巻三である――。現在の感覚からすれば、『週刊何とか百科』のような廉価で大量に印刷された初の写真集という印象を受けるが、実はもともと印刷された部数がきわめて少なく、第一分冊は300部以下、第二分冊はその半分以下であったという。残る巻もおそらくさらに数の少ないものであったのだろう。装丁も豪華で限られた読者層へ向けて出版された限定版という性格が強かったのかもしれない。その読者層とはおそらく彼同様に幅広い教養と知識を備えたアマチュア科学者や文学者たちのサークルであったのだろう。 ところで、この写真集には写真図版ばかりでなく、序文にあたるテクスト以外に、それぞれの図版にテクストがつけ

    自然の鉛筆論 その1 - はてなStereo Diary
  • アマチュア的問題のために - はてなStereo Diary

    昨日飲み会で話していてタイトルを失念した。一応紹介。 Grace Seiberling,『Amateurs, Photography, and the Mid-Victorian Imagination』,1986,ChicagoPress 僕が今アマチュアという問題に係わらざるを得ないのは1830年代頃のアマチュアのもつ意味合いが19世紀半ば以降のそれとはまったく異なるからである。彼らの活動の多彩さや鮮鋭さはたしかに当時の経済的、階級的差異に支えられたものにすぎない。しかしその融通無碍ぶりが調べていると度肝を抜くことがしばしばある。 他方、19世紀後半から20世紀初頭にかけていたるところで広まったアマチュア写真運動というものは、それなりに興味はあるものの、いかにも芸術的制度に回収してしまえそうな――それが鮮鋭な意識にいろどられていようが――狭いコミュニティによる合わせ鏡的な自己満足にし

    アマチュア的問題のために - はてなStereo Diary