NHK岩手県のニュース 盛岡放送局 気仙隕石 陸前高田に戻る 震災当時、茨城県の博物館に貸し出し中で被害を免れた「気仙隕石」が陸前高田市の博物館に返され、30日、地元の小学校でこの隕石を使って授業が行われました。 気仙隕石は、およそ160年前の江戸時代に陸前高田市気仙町の寺の境内で見つかった国内最大の隕石です。 この一部を保管していた陸前高田市の市立博物館は津波で全壊しましたが、隕石は、震災の直前、茨城県の博物館に貸し出されていたため被害を免れ、およそ7か月ぶりに返されました。 貴重な隕石が無事、戻ってきたことを受け、30日、市内の米崎小学校で隕石を使って授業が行われました。 学芸員が、宇宙の成り立ちを研究する上で非常に重要な資料で被害を免れたことが幸運だったと説明すると、児童たちは歓声をあげながら隕石を直接触ったり、においをかいだりしていました。 児童の1人は「被害を受けなかっ
NHK岩手県のニュース 盛岡放送局 釜石市「復興計画」策定延期 大津波の被害を受けた釜石市は、9月中の策定を目指していた復興計画について、県が復旧させる防潮堤の一部しか高さを示さなかったことなどから策定を先延ばしすると発表しました。 これは、釜石市の野田武則市長が30日の記者会見で、明らかにしたものです。 釜石市は、今年7月に震災からの復興計画の骨子をとりまとめ、これをもとに、9月中に復興計画を策定する準備を進めてきました。しかし、▼県が、これまでに、復旧させる市内4か所の防潮堤のうち、1か所しか高さを示さなかったことや、▼国の第3次補正予算が来月決まることなどから、いまの時点で復興計画を策定するのは困難だとして、先延ばしすると発表しました。 その一方で、市は、被災地の再建に遅れが出ないよう、あらたに、専任の職員を配置して「復興推進本部」を発足させ、復興計画の中間案を10月中旬までに
NHK宮城県のニュース 仙台放送局 気仙沼復興計画最終案まとまる 気仙沼市は、30日の震災復興会議で市の復興計画をとりまとめました。計画では、津波で大きな被害を受けた沿岸部の市街地は、水産加工業者の集積を進めるとともに、一部の土地をかさ上げして住宅の再建を図ることにしています。30日開かれた気仙沼市の震災復興会議で、復興計画の最終案がとりまとめられました。 計画では、巨大な津波に備えながら沿岸部の中心市街地で、水産業の復興や住宅の再建を進める方針が示されています。具体的には▼津波の被害が深刻な地域は、住宅の建築を制限し、水産加工業者や商業施設などの集積を進めることにしています。また、▼津波で浸水した住宅地も、一部の地域で地盤をかさ上げした上で、住宅の再建を進め、沿岸部の中心市街地の空洞化を防ぐことにしています。さらに、復興にむけた重点事業として、公営住宅の建設や水産加工団地の整備などおよ
酒田の阿部さん、被災者に漁船譲渡 引退決意「復興へ頑張って」 2011年09月30日 16:59 阿部喜代治さん(右)と金宝丸を引き継ぐ大柳誉和さん=酒田市・酒田港 被災地の漁師に愛用の漁船を使ってほしい−。酒田市高見台2丁目の阿部喜代治さん(85)が、被災地復興の力になれればと漁師を引退することを決め、約30年間使い続けた底引き網漁船を29日、東日本大震災で被災した宮城県の漁師に無償で譲り渡した。 阿部さんは12歳ごろに漁師になり、主に底引き網漁でヒラメやクチボソガレイを捕っていた。1980(昭和55)年からは小型漁船「金宝丸」(4.9トン)に乗船。漁港内の水揚げ量が一番多い漁船に与えられる「優勝旗」をもらったこともあった。 燃料の高騰や漁獲高の減少を理由に昨秋から出漁を控えていたところ、3月に東日本大震災が発生。阿部さんは連日報道される被災地の漁師たちの困窮に胸を痛め、引退して金宝
企業再生支援機構は29日、浜田漁港を中心に沖合底引き網漁を展開する水産会社「室崎商店」(室崎哲郎社長、本店・江津市)の支援決定を発表した。同機構が支援を決めたのは中国地方で初めて。 同社は1924年創業。漁業部門を中核に、水産物缶詰加工や窯業、冷凍倉庫事業を展開してきた。しかし、事業悪化で缶詰加工事業は91年、窯業は07年に撤退。冷凍倉庫事業も経済状況の悪化が収益に影響していた。今年3月期の有利子負債は約13億7100万円。 機構によると▽浜田漁港で沖合底引き網漁の中核として、地域の雇用維持に資する▽老朽化した漁船を全面再生する「リシップ」導入のモデルとなる--などが支援決定の理由。12月設立の新会社が漁業部門のみ継続させる。冷凍倉庫部門は第三者へ売却し、経営責任を取り役員は1人を残して退任する。 浜田市の宇津徹男市長は「支援決定は今後の地域経済発展に大いに寄与するもの。引き続き県と連携し
震災直後、宮城県気仙沼市の離島・大島と気仙沼港を唯一結び、島民や救援物資を運んだ旅客船「ひまわり」(定員12人)の応援歌が誕生した。曲名も「ひまわり」。自宅を津波でなくしながらも島民の足を守った菅原進船長(68)の姿に感動した音楽プロデューサーがつくった。 歌をつくったのは「DJ Norio」の名で活躍している竹田典生さん。東京を中心に人気歌手の徳永英明さんら多くの歌手の音楽活動をプロデュースし、新人歌手の発掘も手がけている。 竹田さんは5月15日、テレビで「ひまわり」を知った。「私も被災者。つらい。しかし船の名前のひまわりのように太陽に向かってがんばる」。そう語った菅原さんにひかれ、「この人に会いたい。この人のために曲を作りたい」と30分で歌詞を書いたという。 ♪ひまわりのように 前を向いて 生きていこう 太陽に向かって 自分らしく花を咲かせよう 少しずつ少しずつ いつまでも笑顔を
110余年の伝統がある「南部潜り」で、海中のがれきを片づけている70歳のダイバーがいる。釜石市の紺野光夫さん。銅製ヘルメットなど重さ30キロ近くの装備をつけ、復興のために海に入る。 壊れた防波堤のブロックが海底に散らばる釜石市の箱崎漁港。紺野さんは船上で潜るための準備を始めた。「手元」と呼ばれる菅原正志さん(72)の手を借りながら、15分ほどかけてヘルメットをかぶり、首に重りをつけていく。 装備を身につけた紺野さんが海に入ると、菅原さんがヘルメットについたホースを伸ばす。空気を送るだけでなく、会話のための信号線もついている。「ワイヤよこせ」。紺野さんの声が船上のスピーカーから響き、菅原さんが応じる。 南部潜りは、1898年に種市町(現・洋野町)沖で貨物船が遭難し、引き揚げのために千葉県から来た潜水夫が町にとどまって潜水技術を伝授したのが始まりとされる。技法は受け継がれ、地元の県立種市
大船渡市末崎町の国立公園・碁石海岸内にある雷岩で、東日本大震災以降「音がおとなしくなった」と、話題になっている。巨岩に波が当たると「ドーン」と豪快な音が周囲に響き渡るが、震災後は間隔も長く、音もやや小さく聞こえる。日本の音風景百選にも選ばれる碁石海岸。見た目ではとくに変化がないだけに原因も分からず、観光関係者もやきもきしている。 雷岩は、碁石海岸レストハウスから、遊歩道沿いに歩いてすぐにある。海食を受けて生じた洞穴から波が打ち寄せると、内部の空気が圧縮され、逃げ出す時に「ドーン」と雷のような音を出すことから雷岩と名付けられている。 3月11日の東日本大震災による大津波では、雷岩や穴通磯での外見上の被害は見られなかった。一方で、落ち着きを取り戻した数日後から、碁石海岸周辺に施設を構えている関係者の間で「音がしなくなった」と話題になり、訪れた地域住民からも同様の声を聞くようになった。 同
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市と沖合の大島を結ぶ航路に、愛媛県新居浜市が所有するフェリー「おおしま」(115トン)が、無償譲渡される。「おおしま」は新居浜市でも市内と同名の離島・大島間で運航され、新船就航のため引退予定だったが、同市は「同じ名前を持つ場所で、復興のシンボルとして活躍を」と譲渡を決めた。 気仙沼市の大島は周囲24キロで、人口約3000人。鳴き砂の浜で知られ、震災前は年間約32万人の観光客が訪れていた。しかし、運航会社「大島汽船」が所有するフェリー2隻が津波で流され、うち1隻は火事が発生して廃船となったほか、客船4隻のうち3隻が修理が必要な被害を受けた。 同社はフェリーを広島県江田島市から借りたが、期限は今秋まで。代わりの船を探していたところ、新居浜市の担当者が、「おおしま」の後継船製造を依頼している造船所から気仙沼市の苦境を聞き、譲渡を申し入れた。 「おおしま」は11月
鮮魚店、待望の再開 店舗に「ふんばれ」看板 南三陸町 店員(左)と声を交わしながら品定めをする買い物客=29日、南三陸町 東日本大震災で被災しながらも、被災者の支援活動に携わってきた南三陸町志津川の鮮魚店「さかなのみうら」が29日、同町の高台で営業を再開し、新鮮な魚介類を買い求める地元客でにぎわった。 店頭には、南三陸町や気仙沼市の市場で仕入れた秋サケや毛ガニ、水ダコなどが並んだ。サンマを20本1000円で販売するなど、「新鮮なものを安く売る」という店の方針は震災後も変わらず、箱ごと買う客の姿が目立った。 カツオやイカを購入した常連客の佐々木久子さん(57)=南三陸町志津川=は「今までは、遠くのスーパーで冷凍の魚を買っていた。新鮮な魚を刺し身で食べられるようになり、うれしい」と喜んでいた。 志津川漁港近くにあった3階建ての店は津波で流された。社長の三浦保志さん(57)は町を鼓舞しよう
政府が、本格的な復興予算となる2011年度第3次補正予算案の編成に動き出した。復興増税に積極的とされる野田佳彦政権が誕生し、復興財源を巡る議論も活発化してきた。毀損した被災地のインフラ、経済をどのように立て直し、そして財源はどうあるべきなのか。元財務事務次官でみずほ総合研究所理事長の杉本和行氏に聞いた。 (聞き手 伊藤正倫) ―― 第3次補正予算案では港湾や道路などのインフラ整備が柱となりそうですが、被災地の経済をどう再生するかについてはビジョンが明確になりきっていない印象があります。 東日本大震災は、日本が抱えていたいくつかの問題点を前倒しで顕在化させました。エネルギー政策、少子高齢化を踏まえた都市のあり方、農漁業の再生などです。これらは被災地だけでなく、成熟社会に突入した日本全体が避けて通れない課題でもある。単にインフラを震災前の姿に戻すのではなく、こうした課題に対応できる経済、社会を
津波観測計、耐震性把握せず 会計検査院の調べ 全国の津波観測網のうち、気象庁の津波観測計について会計検査院が調べたところ、設置場所の耐震強度を同庁が把握していなかったことが29日、分かった。検査院は地震で壊れると正確な観測ができなくなるおそれがあるとして、気象庁に実態調査などを求める。 検査院は、計測に水圧センサーを使う巨大津波観測計78カ所と、音波や電波を用いる津波観測計24カ所について、適切に設置されているかどうかを検査。その結果、気象庁はいずれの観測計でも、設置された建物や岸壁に大地震に耐える強度があるかどうかを把握していなかった。設置費用は総額約5億3千万円だった。
官僚4人復興へ助っ人 気仙沼市に派遣 総務省など 東日本大震災からの復興に向け、宮城県気仙沼市の菅原茂市長は29日、中央省庁の若手キャリア官僚4人を10月から半年間、「復興支援官」として受け入れると発表した。国から被災地への人的支援としては初めての試みで、自治体だけでは対応しきれない課題について、政府と連動した取り組みが期待される。 派遣されるのは、総務、財務、厚生労働、国土交通各省の若手事務官。入省3~5年目で、内閣官房や東日本大震災復興対策本部事務局を併任しているという。 担当分野ごとに部付の職員として勤務。復興特区や2重ローン問題、次期介護保険計画の策定、地域交通の再生などの専門領域で、市長から直接指示を受けて業務に当たる。 菅原市長は8月ごろから、政府の復興対策本部と派遣に向け、調整を進めてきた。菅原市長は「被災地の状況をしっかり見て国に伝えてもらうとともに、市の復興の推進に
佐賀県沖の有明海でノリ養殖が始まるのを前に、養殖網を張る支柱を立てる作業が追い込みに入った。今年は海水温が順調に低下しており、漁業者は販売枚数・金額9季年連続日本一への期待を込めながら作業を進める。最終的に約200万本の支柱が並ぶ。ノリ養殖の種付けは、10月13日か14日に解禁される。 作業は今月上旬、養殖規模が大きい東部地区から始まった。佐賀市川副町沖の漁場には長さ8~10メートルほどのグラスファイバー製の支柱が並び、作業は仕上げの段階。漁業者は船首から身を乗り出すようにして力を込め、支柱を海底に固定していた。 同町の北村孝信さん(45)は「いいノリを採る自信はある。あとは豊作を願って仕事をするだけ」とシーズンの到来を待ちわびていた。県有明海漁協は3日、今季の種付け解禁日を決める。
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