南北、東西方向に整然と多くの溝が掘られた南六条北ミノ遺跡(右上が北)(2012年11月、奈良県大和郡山市で)=関口和哉撮影 平城京跡南の郊外にある奈良県大和郡山市の南六条北ミノ遺跡で、奈良時代(8世紀)に計画的に整備された畑の跡とみられる遺構を、県立橿原考古学研究所が確認した。南北35メートル、東西60メートルの広範囲に多数の溝が規則正しく掘られていた。平城京跡周辺で大規模な耕作地の跡が見つかった例はなく、同研究所は「都人の暮らしを支えた食糧供給体制の一端を明らかにする発見」としている。 同研究所によると、調査地は平城京南端の羅城門跡の南約2キロ。8世紀前半~中頃に、東西方向の溝(幅30~40センチ、深さ約20センチ)を多数掘り、その後に南北方向の溝(同)を3メートル間隔で作っていたことがわかった。 東西方向の溝は開墾した跡、南北方向の溝は畝を設けるために掘った跡とみられる。都に近い立地や
奈良時代の陸奥国府「多賀城跡」(宮城県多賀城市)で、724年頃の創建時に中心部分を囲んでいたとみられる木の柵の跡が出土した。 これまでに盛り土による囲いの跡は見つかっていたが、創建当初は木の柵で囲まれていた可能性が高くなった。 多賀城は東北地方の蝦夷(えみし)と戦っていた当時の中央政府の拠点。宮城県多賀城跡調査研究所が今年8月から政庁と呼ばれる城中心部分の南西部を発掘したところ、政庁を取り囲むように太さ約15センチの丸太の柱を並べた柵列の跡が出土した。 柵列は、南北に延びる遺跡の中心線から西側に約56メートルの長さと推定され、古代の一町(約108メートル)に対応して設計されたことがうかがえるという。今夏には、政庁の中心の南約250メートルでも、この柵と平行して東西に延びる柵状の遺構が出土しており、二重の柵だった可能性もある。多賀城以前の陸奥国府とみられている仙台市の郡山遺跡でも、中心部分を
律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土2008年11月25日3時2分印刷ソーシャルブックマーク 古代の日本が中国をモデルに律令制度を整備する際に、朝鮮の百済(くだら)(4世紀半ば〜660年)が窓口の役割を果たした可能性を示す木簡が韓国で発見された。奈良〜平安時代の律令国家を支えた財政制度「出挙(すいこ)」と同様の仕組みが百済に存在し、記録の方法も日本と同じであることが分かった。 百済の都だった扶余で、今年4月に木簡6点が発見された。周辺には役所が並んでいたと推定され、木簡の1点に税の収納を担当した役所の「外椋部」の名があった。木簡は長さ約30センチで「貸食記」と表題があり、618年のもの。日本は飛鳥時代で聖徳太子の時代に当たる。国立歴史民俗博物館の平川南館長(日本古代史)、早稲田大の李成市教授(朝鮮古代史)らが解読し、百済が国庫に持つ稲の種もみを運用した「出挙」の記録と判断した
恵美嘉樹の最新作『図説 最新日本古代史』が2008年10月28日、学習研究社(学研)から出版されました。ここでは本書のエッセンスをお伝えします。知っているようで知らない、難しそうでいてじつは簡単、歴史教科書では味わえない古代史の魅力をぎゅっと一冊にまとめました。最新の考古学や歴史学の研究成果を盛り込んだ、「古くて新しい」魅力的な歴史の旅をお楽しみください。 7アンドYブック(ヤフーブック)の「歴史」カテゴリーで1位を記録しました(11月8日) 11月3日読売新聞・朝刊に掲載されました。 *リンク先はアマゾンです。 図説 最新日本古代史 作者: 恵美嘉樹出版社/メーカー: 学習研究社発売日: 2008/10メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 38回この商品を含むブログ (14件) を見る 弥生時代・神話 秘密その1 ある日、町内会長から教祖へと変わった弥生時代の王たち 出雲では弥生時
日本で記録に残っている最古の銅鐸発掘は以下のようなものであったという。天智天皇の時代に崇福寺の建立(近江国志賀郡)にあたって偶然に白い玉状の石が土中からみつかり、さらに掘ってみたところ銅鐸が発見された。天智天皇は新しい都の建設に熱心であったおりでもあり、通常であったらこの銅鐸の発見は瑞なものとして喜ばれてしかるべきであったのだがこれを一切無視したようだ。あるいは、悪いことが起きる前触れとも考えられてかもしれないし、あるいは、そもそも銅鐸がいったいなんなのかをまったく理解していなかったのかもしれない。 いずれにせよ、かつて弥生時代に銅鐸文化の中心であった近畿圏に、大和政権の天智天皇が依拠していたにもかかわらず、掘り出された銅鐸をまったく評価していないこと、これはまったく不思議なことではある。 わずか数百年のうちに忘却の淵に埋まってしまった銅鐸文化の運命を考えるとなにやらゾクゾクする。本当に大
藤ノ木古墳 花粉が語る被葬者像 穴穂部皇子と宅部皇子か 夏のベニバナ供花、6月暗殺一致 (1/2ページ) 金銅製の冠など豪華な副葬品の発見で知られる奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(国史跡)の石棺に納められた2体の被葬者が、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部(あなほべの)皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部(やかべの)皇子の可能性が極めて高いことが、石棺から出土した大量のベニバナ花粉の研究で分かった。夏に咲くベニバナが死者を弔う供花として納められたとみられ、日本書紀が記す587年6月の暗殺時期と一致した。石棺に残されたミクロの花粉が、被葬者像を絞り込む興味深い成果として注目される。 同古墳は直径約50メートルの円墳で、石棺は盗掘を受けておらず、昭和63年の発掘調査で金銅製の靴やガラス玉で装飾された大刀、2人の被葬者の人骨などが埋葬当時の状態で見つかった。 石棺内からは、大量のベニバナの花粉
第62回毎日出版文化賞(特別協力・大日本印刷株式会社)の受賞作5点が決まりました。本賞は第二次世界大戦の終戦後間もない1947年、出版文化の向上を願い創設されました。出版点数が拡大する中で、毎年、優れた出版物を選び顕彰しています。 選考は、文学・芸術▽人文・社会▽自然科学▽企画(全集、講座、辞典、事典など)の4部門で行いました。特別賞は、部門を問わず、「広く読者に支持され、出版文化の向上に貢献した出版物」に贈られます。対象は、今年8月までの約1年間に初版が刊行された出版物、同時期に最終巻が刊行された全集などです。出版社からの自薦と毎日新聞社が委嘱した方々の推薦によって計275編が集まり、予備選考を経て計23編が最終選考に残りました。(敬称略) ■文学・芸術部門 ◆『双調 平家物語 全15巻』=橋本治・著(中央公論新社) ◇幅と知恵に加わる重量感 橋本治は多才な作家である。しかしその多才ぶり
進撃の巨人の28巻が2019年4月に出ました。平成最後の巻ですね。 あらすじについては、いろいろなブログで紹介されていますので、お任します。物語が佳境に入り、だんだんと重要な伏線が回収されだしています。今巻で明らかになった3つの伏線についてネタバレで解説していきます。 毎巻、毎巻ですが、驚きとショックが大きい、読み応えのあるシリーズです。 イェーガー派のクーデター シガンシナ区争奪戦の調査兵団生き残りのフロック(モブキャラだと思っていました)が捕らわれたエレン・イェーガーを旗印に、ザックレー総統を自爆テロで暗殺し、クーデターを起こしました。エレンも牢獄から巨人に変身して、やすやすと脱獄し、合流します。 彼らは「イェーガー派」と呼ばれるようになります。 マーレ人捕虜のリーダーで、ジークを信奉する女兵士イェリナは、なぜかマーレの捕虜の労働環境を守ることに尽力していました。 調査兵団長のハンジは
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