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  • 信長、「見上げられる存在」意識か…岩削り居城 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    戦国武将の織田信長が1563年に初めて築いた愛知県小牧市の小牧山城跡で、山肌の岩盤を削って造った壁(高さ最大約5・5メートル、長さ約23メートル)が出土したと、同市教育委員会が7日発表した。 市教委は「信長は最初から壮大で堅固な城郭のプランを持っていたことがうかがえる」としている。 市教委によると、この壁は主郭(丸)のすぐ下の登城ルート(大手道)から出土。堆積岩でできた岩盤を削って大手道を造成し、壁面の上部には石垣を積んでいた。当時としては例のない難工事といい、市教委は「家臣や領民に見上げられる存在になろうとしたことが、巨大な石の壁の上に居城を置いた理由の一つではないか」と分析している。 小牧山城は山頂の主郭が2~3段の石垣で囲まれていたことがわかっており、今回の発見で、石造りの部分は、より大規模に及んでいたことが判明した。

    信長、「見上げられる存在」意識か…岩削り居城 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    emiyosiki
    emiyosiki 2017/02/08
    さすが信長
  • 伊達政宗「酔いつぶれ」招待辞退…直筆でわびる : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    仙台藩祖・伊達政宗の書状と公文書計6点が、宮城県大崎市岩出山出身で神奈川県藤沢市在住の中森 高 ( たかし ) さん(84)から大崎市に寄贈された。 文書は政宗が20~60歳代に書かれ、宛先も他藩の藩主や身内など様々で、専門家は「政宗の交友関係や酒癖まで分かる貴重な史料」と話す。今年は政宗生誕450年。岩出山は政宗が青年期を過ごした地で、市は今秋にも同地にある伊達家の旧学問所「旧有備館」で一般公開する予定だ。 中森さんは岩出山伊達家の家臣の 末裔 ( まつえい ) 。首都圏の岩出山出身者の親睦会「東京有備会」の会長を務めるなどし、長年にわたって私財を投じて政宗の書状を収集してきた。東日大震災で被災した旧有備館の修復工事が昨春完了したことから、「復旧した旧有備館で活用してほしい」と寄贈した。 今回、中森さんから市に寄贈されたのは、文、 花押 ( かおう ) (書き判)とも政宗直筆の書状2

    伊達政宗「酔いつぶれ」招待辞退…直筆でわびる : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 秀吉「筑前守」返上か…官兵衛幽閉で引責? : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    豊臣秀吉が中国攻めの難航や黒田官兵衛幽閉の責任を負って、「筑前守(ちくぜんのかみ)」の名乗りを織田信長に返上したか、剥奪されていた可能性が高いことが中京大の播磨良紀教授(織豊期(しょくほうき)研究)の研究でわかった。 播磨教授は「能寺の変以前の秀吉の実像解明につなげたい」と話している。 約7000通にのぼる秀吉の文書を集成する「豊臣秀吉文書集」(名古屋市博物館編、来月刊行)の編集作業で判明したといい、学術誌「織豊期研究」で発表した。 秀吉は1573年7月、木下姓から羽柴姓になり、75年に筑前守を名乗り始めたが、定説では「藤吉郎秀吉」と「筑前守秀吉」を併用していたとされる。 しかし、播磨教授によると、羽柴時代の文書約1000点の署名を時系列で調べたところ、75年~78年12月は「筑前守」、同月~81年7月は「藤吉郎」だった。 秀吉は当時、信長の命で中国地方の征討に乗り出し、播磨(兵庫県西部

    秀吉「筑前守」返上か…官兵衛幽閉で引責? : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    emiyosiki
    emiyosiki 2014/12/22
    秀吉なら先回りして返上しそうだ[歴史][戦国時代]
  • 利用者不満の「日本一短い有料道路」無料前倒し : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    千葉県は常磐自動車道・流山インターチェンジ(IC)と県道を結ぶ「流山有料道路」(流山市)を、4月から無料化する方針を固めた。 「日一短い有料道路」は、全長わずか500メートル。交通量が想定より多く、既に建設費を償還できたとして、当初予定の2022年から前倒しする。 県道路計画課などによると、流山市は柏ICから比較的近いこともあり、元々、常磐道のICは設置されていなかったが、市が強く求め1992年に設置された。県がアクセス道路を建設することになり、約64億円の建設費用を捻出するため、県道路公社が管理する形で有料道路化した。 国土交通省によると、流山有料道路は、地方道路公社が管理する有料道路の中で現在、全国で最も短い。2013年度の1日当たり平均通行車は、約1万6900台と県道路公社が管理する有料道路9のうち最も多かった。 県は、無料化の関連議案を12月定例県議会に提出し、19日の会議で

    利用者不満の「日本一短い有料道路」無料前倒し : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    emiyosiki
    emiyosiki 2014/12/20
    へえ、渡りに行こう!(うそ)“「日本一短い有料道路」は、全長わずか500メートル。”
  • 瓦窯跡馬の歯も出土 高取 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    で初めて瓦ぶきの宮殿が建設された藤原宮(橿原市、694~710年)の中枢部に使った瓦を焼いたとみられる高取町の市尾(高台(こうだい))瓦窯(がよう)跡で、窯の中から馬の歯が出土した。調査した町教委は「窯じまいの際に供えられたのでは」とみている。 同瓦窯跡は、藤原宮に使った瓦の最大生産地「高台・峰寺(みねでら)瓦窯」の推定地から初めて出土した窯。馬の歯は下あご部分で、窯の中に崩落した天井部分の上から見つかった。馬を埋葬する祭祀(さいし)は古墳時代からみられるが、窯跡ではほとんど例がないという。 また窯の上部には、水が流れ込まないように掘られた溝(幅約40センチ)を確認。そのほか覆い屋跡の可能性もある穴(直径約50センチ)なども見つかった。 木場幸弘・町教委次長補佐は「これまで高台・峰寺瓦窯の構造は全くわかっていなかった。渡来系の工人が造ったとみられ、有意義な発見」と話している。 現地説明

    瓦窯跡馬の歯も出土 高取 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    emiyosiki 2014/12/20
    “馬を埋葬する祭祀(さいし)は古墳時代からみられるが、窯跡ではほとんど例がない”
  • 大雪で東海北陸道が通行止め、数十台立ち往生 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    岐阜県飛騨地方の大雪の影響で、同県郡上市の東海北陸自動車道下り線では17日午前7時半頃、大型車が走行できなくなり、白鳥インターチェンジ(IC)―荘川IC間で上下線とも通行止めとなった。 別の場所でも動けなくなる車があり、同8時過ぎから、荘川IC―飛騨清見IC間も上下線で通行止めとなった。 中日高速道路によると、午後3時半現在、郡上市の同自動車道ひるがの高原サービスエリア付近の下り線で車両数十台が立ち往生しており、除雪作業を進めている。

    大雪で東海北陸道が通行止め、数十台立ち往生 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    emiyosiki 2014/12/17
    写真がこわい!
  • <藤原宮跡調査>佐波理鋺の破片出土 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良文化財研究所の発掘調査で、中枢部以外では初となる総柱礎石建物跡が確認された橿原市高殿(たかどの)町の藤原宮(694~710年)跡・東方官衙(かんが)地区では、ほかにも銅とスズの合金「佐波理(さはり)」製の容器の破片が見つかった。奈良・正倉院にも残る高級品で、藤原宮跡では3例目という。 佐波理の容器や匙(さじ)は朝鮮半島で多く作られ、正倉院や斑鳩町の法隆寺などにも伝わる。破片は、礎石建物跡の礎石を抜き取った穴から出土。幅9・4センチ、高さ4センチで、形態から口径14センチほどの鋺(わん)で、飛鳥時代のものとみられるが、産地は不明。 口の縁が厚さ3・36ミリなのに対し、胴部はわずか0・47ミリ。体を回転させて整形した精巧な造りで、当時の制作技術の高さや優雅な宮中文化を感じさせる。 また調査では、藤原宮造営に先行して敷設された碁盤目状の条坊道路(幅8・8メートル)を、長さ29メートルにわた

    <藤原宮跡調査>佐波理鋺の破片出土 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    emiyosiki 2014/12/13
    “奈良・正倉院にも残る高級品で、藤原宮跡では3例目”
  • 弥生時代の絵画土器出土 : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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    emiyosiki 2014/12/13
    “格子状の線で屋根を、縦線11本で建物の柱を表現”熊本
  • 苅田・御所山古墳 墳丘全長は120メートル  : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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    emiyosiki 2014/12/08
    豊前にこんなに大きいものが
  • 志摩の塚穴古墳 高度な技術使い構築 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    志摩市教育委員会は19日、同市阿児町志島の市指定史跡「志島古墳群4号墳(塚穴古墳)」の発掘調査の結果、古墳の構築方法が具体的に明らかになったと発表した。 塚穴古墳はこれまでの調査から、7世紀初めに志摩国を治めていた国造(くにのみやっこ)級の有力者の墓とされている。石室内のひつぎを納める玄室は、長さ7メートル70、幅2メートル20、高さ2メートル40と、県内では東海地区最大級の高倉山古墳(伊勢市)に次ぐ大きさ。 同古墳は太平洋に面した崖の上にあり、海蝕(かいしょく)で土を盛った墳丘が失われつつある。護岸工事などを行うのは難しいことから、市教委は墳丘が失われ、内部の石室が崩落する前に記録・保存を行うことを決定。2012年度から3か年計画で発掘調査を行っている。 最終年度の今年度は、古墳の北側と西側で、墳丘の断面を観察する断割(たちわり)調査を実施。その結果、石室は元の表土から約2メートル掘って

    志摩の塚穴古墳 高度な技術使い構築 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    emiyosiki
    emiyosiki 2014/11/20
    “7世紀初めに志摩国を治めていた国造級の有力者の墓とされている。玄室は、長さ7メートル70、幅2メートル20、高さ2メートル40と、県内では東海地区最大級の高倉山古墳(伊勢市)に次ぐ大きさ”
  • 一夜限り輝く鳥取城 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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    emiyosiki 2014/10/27
    “経家をしのんだ一夜限りの光り輝く城が姿を現した。 鳥取城跡のマスコットキャラクターの公募で次点となり、その後公開中止となった「かつ江さん」の作者で、鳥取市内で建築事務所を営む男性(40)が、地元の歴
  • 歴史に学ぶ災害への備え 来月、東海学シンポ : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    emiyosiki
    emiyosiki 2014/10/21
    豪華だ“北原糸子・前歴史地震研究会会長や「地震考古学」の提唱者、寒川(さんがわ)旭・産業技術総合研究所客員研究員、祇園祭は地震神を鎮める祭礼が始まりだったとの説を唱えた保立(ほたて)道久・”
  • 奈良大、考古学協蔵書受け入れ調印 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    考古学協会所蔵の発掘調査報告書や研究会誌など約6万3000冊の図書の寄贈を受ける奈良大は20日、同協会と契約や覚書を結んだ。同大学は11月に図書館の改修をはじめ、図書の目録・所蔵情報を蔵書システムに登録し、年内には毎月約2000冊ずつ搬入を始める。来年6月をめどに順次、公開する予定。 同大学であった調印式では、市川良哉・同大学理事長と高倉洋彰・同協会長が書類に押印し、握手を交わした。高倉会長は「奈良大を協会の図書センターだと思って、蔵書の充実に協力したい」と述べた。千田嘉博学長も「我が国屈指の考古学文献の拠点となることを誇りに思う。研究成果を広く知ってもらい、望ましい環境で研究できるよう努力したい」と話していた。 将来は利用の多い図書を電子化して、一般公開することも検討している。

    emiyosiki
    emiyosiki 2014/10/21
    海外の日本研究所だとダメという理由はイマイチわからなかったが大学が寄贈先になったのはよいことでしょう
  • 博物館寄贈の無銘の刀、150年不明の国宝級か : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    京都国立博物館(京都市東山区)は14日、同館に2013年度に寄贈された無銘の刀が、約150年間所在不明だった名刀「島津正宗」の可能性が極めて高いと発表した。 島津正宗は、江戸末期、皇女和宮が14代将軍・徳川家茂に嫁ぐ際、幕府から献上されたとの説がある。15日から、開催中の記念展「京(みやこ)へのいざない」(読売新聞社など共催、11月16日まで)で展示される。 正宗は鎌倉末期から南北朝期に活躍した名工。島津正宗は、江戸中期編さんの「享保名物帳」に記録があり、1913年発行の「刀剣名物帳」で、将軍家から金千両とともに天皇家に献上されたと記されている。 刀は大阪の実業家が旧公爵・近衛家から1969年に譲り受け、昨年度、同館に寄贈。同館の調査で、長さ(68・7センチ)が、享保名物帳にある「二尺二寸七分」と一致することなどから、同一の可能性が極めて高いと判断した。同館関係者は「国宝級の刀」としている

  • 三英傑に女性起用 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    名古屋まつりに向けて意気込む(後列左から時計回りに)信長役の中嶋さん、秀吉役の松さん、家康役の中山さん、ねね役の引地さん、濃姫役の神戸さん 10月18、19日の「名古屋まつり」で、市中心部を練り歩く「郷土英傑行列」で主役となる三英傑と三姫役が決まった。60回目の今回は、三英傑に女性8人を含む計98人の応募があり、今年初めて、三英傑に女性が選ばれた。 三英傑に決まったのは、織田信長役が豊田市の会社員中嶋清美さん(47)、豊臣秀吉役が名古屋市千種区の同松和美さん(29)、徳川家康役が日進市の組合職員中山佳樹さん(50)。また、三姫は地元の百貨店関係者から選ばれ、信長の正室・濃姫役は神戸夏季さん(23)(三越)、秀吉の正室・ねね役は引地知世さん(29)(丸栄)、家康の孫・千姫役は全日国民的美少女コンテストに出場した中学1年の犬塚しおりさん(12)(松坂屋)が務める。 犬塚さんを除く5人は市

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    emiyosiki 2014/09/30
    一気に2人(信長と秀吉)も女性に!
  • 高松塚群像壁画、初めて並べて展示…一般公開へ : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    文化庁は22日、奈良県明日香村の高松塚古墳(8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)のうち、東西両壁の「女子群像」「男子群像」と、四神のうち北壁の「玄武」を村内の修理施設で報道陣に公開した。 23~31日(27日を除く)に一般公開する。 壁画は、カビなどの発生で劣化したため2007年に石室を解体して取り出され、同施設で修復作業中。今回は、男女すべての群像壁画を初めて通路側に並べて展示し、ガラス越しに見学することができる。 入場無料で、事前の申し込みが必要。定員に満たない場合は当日も受け付ける。問い合わせは事務局(06・6971・4004、午前8時30分~午後5時)へ。

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    emiyosiki 2014/08/22
    あしたから
  • 第1回 今川義元どこにいた? 桶狭間(上) : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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    emiyosiki 2014/08/10
    「迂回奇襲でなくて今川義元は山の山頂にいたんやドヤ」って最近飲み屋で言ってたのに…“愛知県出身の城郭考古学者で奈良大学長の千田嘉博さん”の新説
  • なぜ似ている尾張弁と丹後弁…「砂の器」的調査 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    「どえりゃーうみゃー(とてもおいしい)」など、名古屋を中心に愛知県西部で使われる「尾張弁」と京都府北部の「丹後弁」が似ているとして、京都府京丹後市と愛知県が共同で、言語学や交流の歴史から、謎を解明する調査に乗り出す。 京丹後市が約40万円の予算を支出して来年3月までに報告書をまとめ、今後の両地方の交流も目指す。 調査に加わる龍谷大の糸井通浩名誉教授(日語史)によると、両地方は二重母音に共通性があり、「赤い」が「あきゃー」、「うまい」は「うみゃー」に変化する。「書かない」を「書かん」と表現する否定形も同じ。西日では、文末の助動詞に「じゃ」「や」が使われることが多いが、両地方では「だ」を使うなどの特徴がみられるという。 調査では、言語学の観点から、京都を中心に同心円状に言葉が伝わり残ったとする「方言周圏論」との関係を調べる。東北地方と島根県・出雲地方でズーズー弁が共通することを重要なモチー

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    emiyosiki 2014/08/05
    「砂の器」の出雲と東北は古代まで遡らずとも日本海交易で説明できるけど、丹後と尾張はなんでだろう???面白い
  • 飛鳥京跡苑池 中島周囲に柱穴跡100本 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    飛鳥時代の宮殿に付属した国内最古の格的庭園跡、明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)(国史跡・名勝)で、南北二つの池のうち南池に浮かぶ中島の周囲から約100の柱穴跡が、県立橿原考古学研究所の調査で確認された。皇族らが儀式や宴(うたげ)で利用した舞台のような施設があったとみられる。中島の下層からは、7世紀中頃の苑池造成当初とみられる島の痕跡も出土し、同研究所は、苑池の変遷や利用実態を知るうえで貴重な発見だとしている。(守川雄一郎) 2日、橿原市の同研究所であった公開講座で東影悠主任研究員が報告した。 柱穴跡(直径1~1・2メートル)は、昨年度の調査で、南池(東西65メートル、南北55メートル)の中島(東西32メートル、南北15メートル)の周囲から、3~8列並んだ状態で出土した。島からは見つかっておらず、島を覆う舞台のような施設とみられる。7世紀末のうちに設置・撤去され、使用は短期間だったらしい

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    emiyosiki 2014/08/05
    “皇族らが儀式や宴(うたげ)で利用した舞台のような施設があったとみられる”
  • 奥の細道、旅立ちの地は…「千住論争」25年 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    今月完成したマップを広げながら、芭蕉の旅立ちに思いをはせる櫟原さん。奥に見えるのが千住大橋(東京都足立区で) 旅の起点は隅田川の北岸か、南岸か――。俳人・松尾芭蕉(1644~94年)が「奥の細道」の旅を始めた地を巡り、東京都足立、荒川両区が四半世紀もの間、論争を続けている。 その場所は隅田川にかかる千住大橋周辺とされるが、橋のどちら側かはわかっておらず、北岸の足立区と南岸の荒川区は共に「芭蕉旅立ちの地」を譲らない。地元の芭蕉ファンからは、「論争に終止符を」と融和策を模索する動きも出始めている。 ◆発端 論争の発端は1989年5月。旅の出発から300周年の記念事業で行われた、足立区と、芭蕉の住居があった江東区による旅立ちの再現イベントだった。 「奥の細道」で、芭蕉は出発点を「千住といふ所」と書いている。現在の千住大橋付近で船を下り、北へ向かったとされ、「行く春や鳥啼(な)き魚(うお)の目は泪

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    emiyosiki 2014/07/30
    “隅田川にかかる千住大橋周辺とされるが、橋のどちら側かはわかっておらず、北岸の足立区と南岸の荒川区は共に「芭蕉旅立ちの地」を譲らない”