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2013年7月3日のブックマーク (12件)

  • 河北新報 東北のニュース/石巻・鹿島御児神社本殿、近く取り壊し 震災で損壊

    石巻・鹿島御児神社殿、近く取り壊し 震災で損壊 解体を決めた殿の被災状況を説明する窪木宮司 宮城県石巻市の日和山にある鹿島御児神社の殿が近く取り壊される。高台のため東日大震災の津波被害は免れたが、歴史ある建物は揺れで激しく損壊した。氏子の大半が被災したことから建設費の工面が難航し、再建のめどは立っていない。  神社の創建時期は不明だが、平安時代の書物にも記録が残る。大漁祈願や学業成就などの御利益があるとされ、多くの住民に親しまれていた。現在の殿は築約300年の木造で、ご神体を祭っていた。  これまでも殿は修理を重ねてきたが、震災の揺れで基礎のコンクリートが割れ、西側に傾いた。建物を取り囲む瑞垣(みずがき)もほぼ倒壊し、大規模半壊と判定された。  被災した市内を一望できる日和山公園は連日、多くの観光客らが訪れている。神社に足を向ける見学者もいるが、殿は拝殿の裏にあるため被害に気

    emiyosiki
    emiyosiki 2013/07/03
    式内社だよね、たしかここ
  • 朝日新聞デジタル:流用1兆円、戻らない復興予算 今も鹿児島でタニシ駆除 - 政治

    ジャンボタニシを取る男性。この日は午前中だけで12キロ拾った。「取っても取ってもきりがない」=1日、鹿児島県いちき串木野市、古城博隆撮影国が自治体に返還を求めた主な基金  東日大震災の復興予算が自治体などの「基金」を通じて被災地以外で使われている問題で、政府は2日、まだ使っていない1017億円を国に返すよう求めた。政府の対応が遅れたため、戻ってくるのは基金に配られた予算の1割しかなく、1兆円規模の予算が被災地以外に消えていく。 ■今さらやめられない  【古城博隆】「(復興予算の)流用の批判を招くことのないよう、使途の厳格化を行う」。安倍晋三首相は今年1月の復興推進会議で、こう指示を出した。だが、今も復興予算の流用は続く。  鹿児島県いちき串木野市。今月1日、男性らが水田で黙々と「ジャンボタニシ」を駆除していた。  普通のタニシより一回り大きく、繁殖力も強い。稲がべられるため、農家が対策

    emiyosiki
    emiyosiki 2013/07/03
    こういうニュースよむと憤死しそうです
  • 時事ドットコム:高校生、海で溺れ不明=震災で遊泳禁止の海岸で−仙台

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    emiyosiki 2013/07/03
    荒浜の海岸で泳ぐか?
  • 奈良の役人何を食べた? 平城京跡から種8万粒 - 日本経済新聞

    平城宮跡(奈良市)で役所が集中していた「東方官衙地区」にあった8世紀の穴の跡から、ウリやキイチゴなど推定8万粒以上に及ぶ大量の種が見つかり、奈良文化財研究所が2日発表した。平城宮でこれほど多くの種が見つかるのは初めてで、役人の生ごみやふん便とみられる。奈良時代の役人の生活を物語る貴重な資料となりそうだ。穴は1辺70センチ、深さ30センチ。採取したコンテナ4箱分(乾燥状態で約12リットル)の土

    奈良の役人何を食べた? 平城京跡から種8万粒 - 日本経済新聞
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    emiyosiki 2013/07/03
    ”役所が集中していた「東方官衙地区」にあった8世紀の穴の跡から、ウリやキイチゴなど推定8万粒以上に及ぶ大量の種が見つかり、奈良文化財研究所が2日発表した。”
  • エルサレム郊外でローマ帝国時代の道路発掘

    【CJC=東京】1800年前のが東エルサレム北郊ベイトハニナで発掘された。地中海岸のヤッファ(ヨッパ)とエルサレムを主要道路として4世紀前半に建設されたもの。道幅8メートル、両端は縁石か置かれ路面は歩きやすいように平滑な石が敷き詰められている。 帝国支配のため重要視されていた道路が原型を留めて発掘されたのは貴重だ、とイスラエル政府考古局の関係者は語っている。 クリスチャントゥデイからのお願い 皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。

    エルサレム郊外でローマ帝国時代の道路発掘
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    emiyosiki 2013/07/03
    4世紀前半
  • 御真影の「奉安殿」発掘|WEB TOKACHI-十勝毎日新聞

    【池田】町郷土文化研究会(藤平隆代表)は1日までに、旧制池田高等女学校(現・池田高校)の敷地内に戦前設けられ、御真影(天皇、皇后の写真)や教育勅語を納めていた「奉安(ほうあん)殿」を同校があった旭町第2町内子供遊園地(旭町2)から発掘した。奉安殿は、戦前、各学校に建設されたが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の方針で廃止された。町内で建物が見つかったのは初めて。戦時下の教育を伝える遺物として関心を集めそうだ。 奉安殿が埋まっていたのは同遊園地北西の町道に接する一角。旧池田高女は戦後、池田高校(旧制池田中)と統合され、池田高が1967年に現在地(町清見)へ移転する前は、池田高女の校舎を使用していた。移転後、学校跡地は宅地化された。 発掘作業は、同地を所有する町の許可を受け、6月29日に始めた。建物は鉄筋コンクリート製で正面が東を向き、土台から南側へ横倒しになっていた。大きさは、土台を含めて

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    emiyosiki 2013/07/03
    【北海道】旧制池田高等女学校(現・池田高校)の敷地内に戦前設けられ、御真影(天皇、皇后の写真)や教育勅語を納めていた「奉安(ほうあん)殿」を同校があった旭町第2町内子供遊園地(旭町2)から発掘した。
  • 石神井で「出土品」展-練馬区で発掘された出土品を展示

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    emiyosiki 2013/07/03
    ”石神井公園ふるさと文化館(練馬区石神井町5)で現在、練馬区内の縄文時代の遺跡から発掘された出土品を展示する「発掘された練馬~出土品からみるくらし」展が開催されている。”
  • 炭化コムギ種子発見 - 甘樫丘東麓遺跡|奈良新聞デジタル

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    炭化コムギ種子発見 - 甘樫丘東麓遺跡|奈良新聞デジタル
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    emiyosiki 2013/07/03
    ”飛鳥時代の権力者だった蘇我蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)父子の邸宅跡とされる明日香村川原の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の炭化したコムギの種子”
  • 【これが130年前!?】最後の浮世絵師が描いた『100枚の月』がとんでもなく新しい【月岡芳年】

    幕末から明治にかけて活躍した月岡芳年(読み:つきおかよしとし)。彼が晩年に描いた連作 『月百姿』。歴史の有名なシーンと月を絡めたりした作品なのですが、その構図センスと自由自在な表現力はまるで古さを感じさせません。 圧倒的な浮遊感!牛若丸@五条橋 『五条橋の月』(1888年) 月岡芳年 独特のポーズで軽やかに舞う牛若丸こと源義経。その背後で光る月。場所は五条橋。弁慶との出会いの場所です。 孫悟空と月のウサギ 『玉兎 孫悟空』(1886年) 月岡芳年 月の宮殿から逃げ出した妖魔と孫悟空の戦い。怪物化していた妖魔を孫悟空は見事撃退。元の月のウサギに戻され、逃げ帰っているところです。 風に舞う手紙 『月のものくるひ 文ひろけ』(1889年) 月岡芳年 豊臣秀吉の女中・おちよ。ある日受け取った手紙で恋人の死を知ります。おちよは悲しみのあまり気が触れてしまい、その手紙を身体に巻き付けたりしながら、死ぬ

    【これが130年前!?】最後の浮世絵師が描いた『100枚の月』がとんでもなく新しい【月岡芳年】
  • 百人一首の藤原定家が記した超新星は「明月記」でどう書かれていたのか | BUSHOO!JAPAN

    京都大と米ハーバード大のチームが2013年7月2日、とある超新星爆発の様子を明らかにしたと発表しました。 各マスコミで話題になっています。なぜかというと、この超新星SN1006が、1000年前の1006年に爆発し、その「天体現象」について、鎌倉時代の百人一首の編者として有名な藤原定家(ていか、1162~1241)が日記「明月記(めいげつき)」に書いていたものだったからです。 「明月記」は、一部欠落はあるものの定家のほぼ全生涯の暮らしを記録しています。なにしろ、源平合戦の激動の時代の記録でもありますから大変に重要です。 はて、定家が生きていたのは12~13世紀なのに、超新星爆発は11世紀のことですよね。これはなぜかというと、もちろん定家が生で観測したのではありません。 明月記によりますと、寛喜2年(1230年)11月4日、彗星を空で見つけた定家が「この星朧々として光薄し。その勢い小にあらず」

    emiyosiki
    emiyosiki 2013/07/03
    「はて、定家が生きていたのは12~13世紀なのに、超新星爆発は11世紀のことですよね」←の理由
  • 藤原定家が「書いた」超新星爆発。でも「観測」したわけではなかった - 歴史ニュースウォーカー

    京都大などが鎌倉時代の百人一首編者で知られる藤原定家の日記「明月記」に記された超新星爆発について、天文学による発見について発表しました。各紙が報じています。 ただ、この共同通信のリンク先を見ても分かるように、あまりに短くてなにがなんだか分かりません。(追記:京都大の発表ページ、こちらは詳しい) ですので、歴史のお話として、概略を下の「BUSHOO!JAPAN」に寄稿しました。 百人一首の藤原定家が記した超新星は「明月記」でどう書かれていたのか =写真も共同通信 よかったら読んでくださいませ。 ちなみに、WEBで見られるニュースでは、京都新聞が詳しくておすすめ。もっぱら天文学的に詳しいのですが。 【天文エントリー】 江戸に落ちた巨大隕石の落下地点を特定しますた! - 歴史ニュースウォーカー 【棚卸し歴史ニュース】シベリアのツングースカ大爆発を起こした隕石は予想よりはるかに小さかった? - 歴

    藤原定家が「書いた」超新星爆発。でも「観測」したわけではなかった - 歴史ニュースウォーカー
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    emiyosiki 2013/07/03
    藤原定家が「書いた」超新星爆発。でも「観測」したわけではなかった
  • お知らせ : 京都新聞

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    emiyosiki 2013/07/03