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百人一首の藤原定家が記した超新星は「明月記」でどう書かれていたのか | BUSHOO!JAPAN
京都大と米ハーバード大のチームが2013年7月2日、とある超新星爆発の様子を明らかにしたと発表し... 京都大と米ハーバード大のチームが2013年7月2日、とある超新星爆発の様子を明らかにしたと発表しました。 各マスコミで話題になっています。なぜかというと、この超新星SN1006が、1000年前の1006年に爆発し、その「天体現象」について、鎌倉時代の百人一首の編者として有名な藤原定家(ていか、1162~1241)が日記「明月記(めいげつき)」に書いていたものだったからです。 「明月記」は、一部欠落はあるものの定家のほぼ全生涯の暮らしを記録しています。なにしろ、源平合戦の激動の時代の記録でもありますから大変に重要です。 はて、定家が生きていたのは12~13世紀なのに、超新星爆発は11世紀のことですよね。これはなぜかというと、もちろん定家が生で観測したのではありません。 明月記によりますと、寛喜2年(1230年)11月4日、彗星を空で見つけた定家が「この星朧々として光薄し。その勢い小にあらず」
2013/07/03 リンク