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1433 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
日本における反原発思想を 本格的な運動として立ち上げたのは、 市民科学者の高木仁三郎だった。 早くか... 日本における反原発思想を 本格的な運動として立ち上げたのは、 市民科学者の高木仁三郎だった。 早くからプルトニウムの危険を訴え、 ついでは「原子力安全」と「原子力文化」が 決して成立しえないことを、 つねに根底から告発しつづけた。 頑固で、勇気があって、誠実な人だった。 しかし激痛と闘病のなかでJCOの臨界事故を知り、 本書を遺して、無念のまま他界した。 もしフクシマのことを知ったら、 どうなっていたことか。 2000年10月8日、築地の聖路加国際病院で高木仁三郎が亡くなった。最終病名は直腸ガン。62歳と2カ月余。その3年ほど前に会ったときは顔色はすぐれなかったが、大病を患っているとは思わなかった。しばらくして大腸ガンであることが判明したと人づてに聞いた。 高木さんには最後の最後に口述した『鳥たちの舞うとき』(工作舎)という唯一のフィクションがある。十川治江が編集した。その「あとがき」を書
2014/05/23 リンク