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建築エコノミスト 森山高至『東京の森⑥日本の都市が空襲された理由』
戦前、戦後の日本の近代建築界に大きな足跡を残した人ですが、もともとはチェコスロバキアの人でアメリ... 戦前、戦後の日本の近代建築界に大きな足跡を残した人ですが、もともとはチェコスロバキアの人でアメリカに移住し、名前をアントニーン・ライマン(Antonín Reimann)からアントニン・レーモンド(Raymond)に変えています。当時アメリカでも有名な建築家フランク・ロイド・ライトの元で働いていたため、大正7年(1919年)に帝国ホテルの設計スタッフとして来日しました。 来日3年後にライトの元を離れ帰国しないで日本で設計事務所を始めます。 彼が設計した建物のうち今でも現存する有名なところでは、一時期芸能人の結婚式によく使われた昭和9年(1933年)の軽井沢のセントポール教会でしょう。 その前にライトのところを辞めて、大正13年(1924年)に建てた霊南坂の家という自邸が、現代にも通じるパキッと打った壁をデザインとして扱った世界最初のコンクリート打ち放し建築として建築設計関係者にはよく知られ
2014/09/03 リンク