エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
フェティシスムとひきこもり または「スキゾ的仮面」を被る若者たち
今更ながら、こちらのブログに掲載されている斎藤環氏の「脳はなぜ心を記述できないか」講演レポートを... 今更ながら、こちらのブログに掲載されている斎藤環氏の「脳はなぜ心を記述できないか」講演レポートを読んでみました。 やはりひきこもり専門家である斎藤氏ですから、ひきこもり関係の言葉には重みがあります。講演レポート4になりますね。そこから一部抜粋します。 ===== ひきこもりの人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられていると言えるかもしれない。 ===== 単純に社会参加=去勢の承認と言えるとは思いませんが、そうだとするなら実はこれフェティシスムの精神分析的構造と全く同じなのですね。 フェティシストは想像的同一化と象徴的同一化の狭間を生きています。象徴的去勢は承認し、想像的去勢を否認しているのです。 自らの想像的ファルスをフェティッシュ(フェチの対象)に換喩し、自らを「部分的に」対象aに移行させて、象徴的思考の中のある「待ち合わせ場所」におい
2007/05/28 リンク