エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
亡霊退治4 『アシッド・キャピタリズム』を読む(前編) - 泥沼通信
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
亡霊退治4 『アシッド・キャピタリズム』を読む(前編) - 泥沼通信
10年ぐらい前、僕は図書館で借りた『搾取される身体性』とか『ネットワーク支配解体の戦略』という小... 10年ぐらい前、僕は図書館で借りた『搾取される身体性』とか『ネットワーク支配解体の戦略』という小倉利丸の本を読んで、左翼の思想ってこんなにユニークな現状の捉え方をできるのか……と驚嘆した。それだけに彼の文化・芸術論である『アシッド・キャピタリズム』にも僕は大きな期待をもってかじりついた。しかし、「ありゃ?」っと何か肩すかしを食らわされたような感覚で、どこか僕の求めていたものとズレているな、と本に目を通し終わるまで感じ続けた。 もっとも、読もうとする本に自分の期待通りの言葉を発見しようとすること自体邪道である。なるほどいまこのエントリーのために小倉の本を読み返してみると、当時は目にも入らなかった繊細な分析などが展開されていて、なるほどなあと思うし、それなりに面白い。……にしても僕が小倉の芸術論にいまだ何ともいえないもどかしさを感じ続けているのもまた事実である。 前回のヨゼフ・ボイスへのレクイ