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『解放された観客』という本でジャック・ランシエールがシチュアシオニスト批判をしていると、 - 泥沼通信
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『解放された観客』という本でジャック・ランシエールがシチュアシオニスト批判をしていると、 - 泥沼通信
こちらに書いてあったので読んでみた。ランシエールはアルチュセールの弟子だったが、5月革命を「革命... こちらに書いてあったので読んでみた。ランシエールはアルチュセールの弟子だったが、5月革命を「革命ではない」と断罪する師と袂を分かった、民衆の自律的な運動を擁護する思想家だという。まさに私のような人間が読むべき本を書いてる人である。『解放された観客』という小文を読んでみると、実際にはシチュアシオニストなんて言葉は一言も出てきていなくて、ある種の演劇論批判と絡めてドゥボールの「受動的な観客」という言い方に潜む態度が批判の槍玉に挙げられている。 ランシエールに批判されているのは、教化的、政治的な演劇、、、観客という態度(受動性)に変更を迫る演劇、、、具体的にはブレヒトとアルトーの演劇、演劇論である。なにが問題かというと演者と観客の非対称性=演者の観客に対する「卓越」と卓越を生み出すからくりである、と私は理解した。 ランシエールには『無知な教師』という著作があって、教師(知識人)が生徒を無知なもの