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徳川家康・秀忠の上洛(=京都着)・下向(京都出立)
家康・秀忠父子の上洛(=京都着)と下向(=京都出立) 『言経卿記』を読むと、徳川家康と息子秀忠の上洛・... 家康・秀忠父子の上洛(=京都着)と下向(=京都出立) 『言経卿記』を読むと、徳川家康と息子秀忠の上洛・下向に一定のパターンがあるように思えたので、『家忠日記』『織豊期主要人物居所集成』他を使って、天正十年~慶長十一年までの二人の動きを書き出してみた。京都に入った後大坂に動く場合や、直に大坂入りするときも「在京」扱いとしている。(○、◎に家康と秀忠のおよその在京期間を記し、●に二人が共に在京している期間を示す) *追加:家康・秀忠の動向に「秀康」も加えてみた。家康や秀忠と違って在京期間が分かり辛いが、分かる範囲内で書き出してみると、徳川親子の動きが連動しているのが読み取れる。 天正十年(1582) 五月十一日 家康、岡崎を出立 十五日 家康、安土着 廿一日 織田信忠・家康、上洛 六月二日 本能寺の変 四日 家康、大濱着 ○家康:短期在京 天正十二年(1584) 十二月十二日 *御儀