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ララビアータ:デカルトの読者 - livedoor Blog(ブログ)
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ララビアータ:デカルトの読者 - livedoor Blog(ブログ)
『方法序説』について書いたことに対して、批判をいただいたので、それについての私なりの返答をやや詳... 『方法序説』について書いたことに対して、批判をいただいたので、それについての私なりの返答をやや詳しく述べておこう。 デカルトの普通の読者は、思考内容と思考態度を区別し前者を悟性、後者を意志に基づけるデカルトの考えに同意している。フッサールのように、前者を志向的内容として現象学的還元を通しても確保できると見なしている者もいる。しかし常々私は、Bedeutungの存在をSinnの探究の前提とするフレーゲ流の意味理論に共感を示してきた(「悪魔の現象学的還元」をめぐって、シェーラーを批判した若いルカーチの機知を引用したのも『読む哲学事典』p−142、それを示唆するためである。このエピソードは、パトナムの「外在主義」と並置することによって、さらに明確な意味を獲得するだろう)。 だが、デカルト自身に即しても、悟性と意志の峻別などという安易な態度、または現象学的還元などという姑息な手段が、明晰な意味理解