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白紙が「誰も傷つけない表現」だと思っているなら表現について語るのは諦めたほうがいい : 九段新報
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白紙が「誰も傷つけない表現」だと思っているなら表現について語るのは諦めたほうがいい : 九段新報
白紙も表現のうち 「白紙」が「誰も傷つけない表現」として提示されてしまう背景にある2つの前提のうち... 白紙も表現のうち 「白紙」が「誰も傷つけない表現」として提示されてしまう背景にある2つの前提のうちの1つ目は、「白紙」は文字通りの白紙であって何も表現していないという理解です。しかし、こんなことをわざわざ言うのも情けないのですが、何も表現しないのも表現のうちです。 厳密な意味での白紙ではありませんが、わかりやすい例として藤子・F・不二雄の短編作品『ある日……』の最後のページを挙げましょう。このページの最後のコマは『プツン……』と書かれただけの真っ白なコマになっています。が、これを見て「おいおい先生、絵を描き忘れてるぜ」と理解した人がいたらただの馬鹿です。この白紙はきちんと意味があってなされたものであり、大半の読者はその意味をきちんと理解しているのです。 何かを描く、ということは当然1つの表現です。裏を返せば、何かが描かれると期待されるところであえて何も描かないのもまた1つの表現です。そのこ