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年頭に武道について考える - 内田樹の研究室
1月3日。恒例の多田宏先生のところでの新年会。 例年と同じく、東京大学合気道気錬会の諸君やかなぴょ... 1月3日。恒例の多田宏先生のところでの新年会。 例年と同じく、東京大学合気道気錬会の諸君やかなぴょん、ウッキーたちといっしょに吉祥寺の多田先生のお宅を訪れる。 先生の秘蔵のワインを頂き、先生手作りの「天狗舞雑煮」を食し、談論風発。 先生のとなりに座って、武道談義、合気道のこれからのありかたについて、お話を聴く。 中教審答申「武道の必修化」について、このところ立て続けに取材されたので、改めて先生のご意見をお聴きすることにする。 多田先生によれば、武道の競技化とその弊についての批判はつとに江戸時代から(熊沢蕃山や『天狗芸術論』でもう)始まっているそうである。 ルールが決められた場で術の巧拙を競うことと、ルールがない状況でなお最適な行動を選択することは違うことである。 どちらが正しいとかよいとかいうことでなく、「違うこと」である。 武道が涵養しようとするのは個別的な身体技法ではなく、どのような状
2008/01/05 リンク