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asahi.com(朝日新聞社):なぜ歴史が書けるか [著]升味準之輔 - 書評 - BOOK
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なぜ歴史が書けるか [著]升味準之輔[掲載]2008年8月10日[評者]奈良岡聰智(京都大学准教授)■効用では... なぜ歴史が書けるか [著]升味準之輔[掲載]2008年8月10日[評者]奈良岡聰智(京都大学准教授)■効用ではなく人生のようなもの 人はなぜ歴史を書くのだろうか。難問である。おそらく永遠のテーマかもしれない。この問いに対して、著者は答える。「意味や効用があるから歴史を書くのではない。それは、人生のようなものであろうか」 一見、身も蓋(ふた)もない言葉と思われるかもしれないが、そうではない。重大事件に遭遇したとき、人がそれを記録し、意味を考えることは、必然であり、喜びでもある。著者は、そう言っているのである。大著『日本政党史論』など幾多の著作を物した経験に裏づけられた、実に含蓄深い言葉である。 著者は、古代ギリシャ以来の歴史書に拠(よ)り、古今東西の豊富な事例を取り上げながら、歴史の方法論を追求していく。歴史学の核心は、歴史を作り上げた人々の内面的過程を探求することにあると喝破し、伝記こそが