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【レビュー・書評】日露戦争と新聞―「世界の中の日本」をどう論じたか [著]片山慶隆 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)
日露戦争と新聞―「世界の中の日本」をどう論じたか [著]片山慶隆[掲載]2010年1月17日[評者]保阪正康(... 日露戦争と新聞―「世界の中の日本」をどう論じたか [著]片山慶隆[掲載]2010年1月17日[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)■メディア史見直し歴史観を変革 私が小学校に入学したころ(一九四六年)にはまだ「スズメ・メジロ・ロシヤ・ヤバンコク・クロパトキン」といった手まり唄(うた)が子供達(たち)の間では口ずさまれていた。この源流は日露戦争開始前後から、一部の新聞によって報じられたロシア観に根ざしている。本書によれば、徳富蘇峰の「国民新聞」は、開戦前後の「露国の暴慢にして悪虐なる行動は、文明国民の等しく憤る所なり」と論じたというし、著者も「ロシアに対しては、文明国である他の列強も怒っているとして、日本の戦争を正当化した」と紹介している。 本書を読み進むうちに、幾つかの感慨に打たれる。日露戦争前の開戦論では、折から勃興(ぼっこう)期の新聞各紙(萬朝報(よろずちょうほう)、二六新報、時事新
2010/01/26 リンク