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書評・最新書評 : 対華二十一カ条要求とは何だったのか—第一次世界大戦と日中対立の原点 [著]奈良岡聰智 - 吉岡桂子(本社編集委員) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
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書評・最新書評 : 対華二十一カ条要求とは何だったのか—第一次世界大戦と日中対立の原点 [著]奈良岡聰智 - 吉岡桂子(本社編集委員) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
■報道と世論が衝突をあおった 日本史の教科書でいえば1頁(ページ)ほどの記述なのに、中国では日本か... ■報道と世論が衝突をあおった 日本史の教科書でいえば1頁(ページ)ほどの記述なのに、中国では日本から屈辱的な要求をのまされた「国恥(こくち)記念日」として語り継がれる日がある。1915年5月9日。まもなく100年を迎える。 いきさつをおさらいする。 日本は、第1次世界大戦に日英同盟を理由として直ちに参戦を決めた。ドイツに宣戦し、中国に対して山東省のドイツがもつ利権の継承や南満州の権益の強化など21項目にわたる要求を突きつけた。欧米列強にアジアからの後退を強いた大戦を、「天佑(てんゆう)」とみなして権益拡張を目指す日本は、辛亥革命後の中国の新しい国づくりを妨げる単独敵として急浮上していった――。 中国における「反日」の源流とも言える歴史を、筆者は「日中対立の原点」とみなす。そして、対中強硬派におされて要求内容が膨らんでいった日本の政策決定過程と、日中の交渉を検証する。 手堅い歴史書でありなが