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哲学者・廣松 渉の没後30年に寄せて | ちきゅう座
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哲学者・廣松 渉の没後30年に寄せて | ちきゅう座
<合澤 清(あいざわきよし):ちきゅう座会員> 1994年5月22日に60歳でお亡くなりになった廣松渉先生は... <合澤 清(あいざわきよし):ちきゅう座会員> 1994年5月22日に60歳でお亡くなりになった廣松渉先生は、著名な哲学者としての顔だけでなく、数々の武勇伝をお持ちの方であった。先生を偲びながら、そのうちのほんのいくつかを書いてみたいと思う。 まず、順序から言って、哲学者廣松から始めるのが正論であろうが、もちろん、ここで難解な廣松哲学を正面切って論じようとは思わない。あくまで逸話を述べるに留めたい。 廣松は数多くの著書・論文を書いているが、いずれも難しい漢語と横文字に溢れている。たいていの読者は、最初のページを開いたとたんに辟易してすぐに本を閉じたくなるほどである。使われている漢語も並みの難字ではない。普通に市販されている「漢和中辞典」程度では見つからないほどだ。 しかし、不思議に廣松の文体は魅力に富んでいたのも事実である。1970年から80年代にかけて、多くの学生が廣松流の漢語交じりの文