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首里城焼失、「心を一つに再建を」への不安 | ちきゅう座
<内野光子(うちのみつこ):歌人> 私が初めて沖縄を訪ねたのは2014年11月11日だった。ホテルに荷を預... <内野光子(うちのみつこ):歌人> 私が初めて沖縄を訪ねたのは2014年11月11日だった。ホテルに荷を預け、最初に向かったのが首里城だった。長くて高い城壁を見上げながら進んで、歓会門から入り、いくつかの門をくぐり、奉神門からは有料ということであった。中庭から南殿、正殿、北殿と順路に沿って回ったのだが、建物といい、調度品といい、日本とは違う、その絢爛豪華さには、目を見張るものがあった。 正殿と南殿の間から中庭と北殿をのぞむ 米軍による空襲で、跡形もなく灰塵に帰したあと、1992年大方が完成し、まだ、復元は続いているときいた。外形は、中国風もあり、日本風もあり、正殿には双方折衷の跡がたどれるという。屋内は撮影禁止なので、うまく伝えられない。しかし、私には、その内装は琉球王国の、ただ、ただ絢爛たる印象が強烈だった。当時の思いは、当ブログにも記したが、その印象はいまでも変わりはない。 2014年
2019/11/05 リンク