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立身出世から戦意高揚まで――合山林太郎『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』 - 固窮庵日乗
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立身出世から戦意高揚まで――合山林太郎『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』 - 固窮庵日乗
日本の漢文学のピークは質量ともに近世後期であろうが、明治期も無視できない。なぜなら漢学を捨て去り... 日本の漢文学のピークは質量ともに近世後期であろうが、明治期も無視できない。なぜなら漢学を捨て去り西洋文明を貪欲に摂取していたこの時期が、近世後期に劣らぬ漢詩流行の時期でもあったからである。 公教育で漢学を修めなかった世代が漢学を学んだのは、そういった素養が政治家や官僚に必要とされたからであろう。漢文というのは元来政治の世界と親和性が高い。漢詩を作ることは立身出世の野心を持った若者に必要な嗜みであった。つまり、漢詩は詩社に参加して政治家と繋がるためのツールだったのである。 もちろん、純粋に文学として漢詩を愛する人々もいたであろうが、それだけでは明治の漢詩流行はなかっただろう。 合山林太郎氏の一連の研究からはこういった事情が浮かび上がってくる。『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』の序章には幕末・明治の漢文学の背景についての指摘がいくつかあるが、その一つは次の指摘である。 明治期以降、公教育