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坂のある非風景 妥協なき苦痛、妥協の苦痛、苦痛なき妥協
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坂のある非風景 妥協なき苦痛、妥協の苦痛、苦痛なき妥協
これは厳しい。みんなに厳しい訴えだという意味ではなく、これは発言者自身に厳しい訴えである。訴求者... これは厳しい。みんなに厳しい訴えだという意味ではなく、これは発言者自身に厳しい訴えである。訴求者がその訴求によって自らが追い込まれてゆく、といったストーリーがふと脳裏をよぎる。たぶん世の中、大人の世界では、信とか不信とかいったレベルで人付き合いがなされているわけではなく、だからといって大人の世界に友情や愛情がないかというと、ちゃんとある。その愛情のなかで、脈々と不信が息づいているというわけである。 そもそもほんとうに信は真に、真は信に結びつくのだろうか。偽だけが信によって真になる、という公式があるだけではないだろうか。そういう意味で、偽は真の源泉だと言ってみるのはどうだろう。信は愛を静止させる。不信が愛を強化するのではないか。 私が生身であることに惹かれるのはそういうわけなんだろう。 自分がたくさんのごまかしをしてきたから、もうそういうものは要らない、と思う。 かっこ悪くても、痛々しくても