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百姓たちの戦国(其の十 キリシタンによる人買い人売り) - 原田伊織の晴耕雨読な日々(第二幕)
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百姓たちの戦国(其の十 キリシタンによる人買い人売り) - 原田伊織の晴耕雨読な日々(第二幕)
戦場の捕獲物である女・子供をはじめとする「掠奪された人びと」が、ポルトガルの黒船によって東南アジ... 戦場の捕獲物である女・子供をはじめとする「掠奪された人びと」が、ポルトガルの黒船によって東南アジアで売りさばかれていたと述べた。一説にはその数十万人以上という。当時、マカオやマニラには多数の日本人奴隷がいた。九州では、伴天連(バテレン)の協力を得て、ポルトガル商船が多くの日本人男女を買い取り、平戸と長崎からせっせと東南アジアに積み出していたのである。伴天連たちにとっての権威であるイエズス会が、日本から少年少女を奴隷として積み出そうとするポルトガルの人買い商人に輸出認可証を発行していたのである。 当時のヨーロッパ人の通念として、ポルトガル人たちも「正しい戦争によって生じる捕虜は、正当な奴隷である」と考えていた。では、どれが正しい戦争で、どれが正当な奴隷なのか。イエズス会は、日本人にはそれを判別する習慣がなかったので、必然的にその判別能力はないとしたのである。十四、十五世紀から二十世紀までのヨ