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3世紀前半、最大規模の建物跡=邪馬台国畿内説に弾み−卑弥呼の居館?−奈良(時事通信) - Yahoo!ニュース
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半の大型建物遺構を確認したと、同市教... 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半の大型建物遺構を確認したと、同市教育委員会が10日発表した。女王卑弥呼が活躍していた時期と重なり、当時の建物としては国内最大規模という。市教委は「遺跡中枢部の居館域で、中心的な人物がいた建物」と説明している。 邪馬台国の所在地は「畿内か」「九州か」で長年議論されてきた。卑弥呼の居館とみる専門家もおり、今回の確認は畿内説に大きな弾みをつけそうだ。 市教委によると、大型建物は柱穴などから東西12.4メートル、南北19.2メートルと推定される。高床式で、東西いずれかが正面とみられる。纒向遺跡で大型建物跡が見つかったのは初めてで、出土した土器などから3世紀初頭から半ばごろまで存在した可能性が強いという。 これまでの調査で、西隣には小規模な建物跡が3棟確認され、一部は柵で囲われていたことが分かっている。 【関連ニュース】 ・
2009/11/10 リンク