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アウトサイダー宣言
昨日、三重まで強行軍、日帰りで学会に参加してきました。肉体的にはハードでしたが、目当ての講演も無... 昨日、三重まで強行軍、日帰りで学会に参加してきました。肉体的にはハードでしたが、目当ての講演も無事拝聴でき、またいつもながらの近世学会の雰囲気(地方大会の方が落ちつくなぁ)も肌で感じられて、なかなか有意義な一日でした。 さて、職を持っていると誰だって忙しいのですが、その忙しさのうち、どこまでが必然的な忙しさなのか。この忙しさこそ、不満足の源ではないか。いや、忙しさに満足を覚える人も多いでしょうし、ぼくも嫌いではなかったのですが、最近、その感覚に疑問を覚えましたので、ちょっと立ち止まって考えてみようと思います。 ぼくの生業とするのは文学研究(しかも古典)ですから、医学のようにその研究の成就によって直接的に多くの人を救済するというものではありません。もちろん、だから文学研究は無用で無駄だ、という発想はあまりにも乱暴で、『荘子』のむかしから、「無用の用」というかたちで、必要性は確認されてますし、