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『神は妄想である』を読みかけているのだが…
邦訳は昨年5月に刊行されて、ネットでもぼちぼちと評判を読んではいたのだが、古書店で手に入れてそのま... 邦訳は昨年5月に刊行されて、ネットでもぼちぼちと評判を読んではいたのだが、古書店で手に入れてそのままになっていたものを寝る前にふとんの中で少しずつ読んでいるのだが… 進化論に関心のある読者なら知っているように、「宗教」は故S・J・グールドとドーキンスというライバルの間で大きく見解が分かれていたトピックであり、ドーキンスにとっては極めて重要なテーマであるし、学説史ないし思想史的な観点から言っても進化論研究者がキリスト教をはじめとする宗教に強い関心をもつべき動機があるのは当然とも言える。だが、この本は日本においてどのような意味をもちどのように読まれるべきなのか? というのも日本では「無神論者」を自称したところで(ごく私的な人間関係においてならともかく)これといった不都合がないどころか、特定の宗教の熱心な信者であることの方が有徴であると言いうるほどだし、進化論に挑戦し科学教育に介入しようとする運