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『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界』仲正昌樹
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『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界』仲正昌樹
本書のテーマは、プロローグの以下の下りに示されている通りです。 現実には極めて限定的・暫定的なもの... 本書のテーマは、プロローグの以下の下りに示されている通りです。 現実には極めて限定的・暫定的なものでしかありえない”自由な主体性”を、すべての人間に普遍的に備わっている共通項であるかのように考えるのは、かなり無理がある。しかしながら、ホッブス以降、「自由な主体」間に「自然に」生まれてくる「普遍的合意」(=契約)という過程の上に成り立ってきた近代社会は、自らの拠って立つ基板がフィクションであると認めることはできない。 (・・・) 近代的な「自由な主体」の「限界」を振り返りながら、ポスト・モダン状況の中で、”とりあえず”どういう態度を取ったらいいのかというのが、本書の主題である。 「自由」な判断の主体として想定される、臆見や抑圧を剥ぎ取った後に残る「人間」なるものが、極めてフィクショナルであり、かつ正にこの「人間性」が、ある種の「野蛮」に繋がる、という逆説を抉出していきます。新書という形態上、