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北条氏政が暗愚だから小田原は陥落した?信玄や謙信と戦った生涯53年
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北条氏政が暗愚だから小田原は陥落した?信玄や謙信と戦った生涯53年
勝てば官軍負ければ賊軍――。 その評価が最も辛辣にくだされるのが、御家を滅ぼしてしまった戦国武将でし... 勝てば官軍負ければ賊軍――。 その評価が最も辛辣にくだされるのが、御家を滅ぼしてしまった戦国武将でしょう。 生涯の事績を見れば有能であるのに、最後の一手を誤ってしまったがために、現代においては愚将扱いされてしまう。 最たる例が北条氏政ではないでしょうか。 北条早雲から始まり、北条氏綱、氏康へとバトンが渡された後北条氏五代の四代目。 その実態は、単なるボンボンではなく、偉大だった父・氏康の跡を継ぎ、関東に覇権を確立させた名将とも言える存在です。 それが天正18年(1590年)7月11日、秀吉に敗れて自害させられたため、凡愚の烙印を押されがちな氏政ですが、果たして生前はいかなる功績があったのか? 北条氏四代目・氏政の生涯に注目してみましょう。 北条氏政の出自と彼を支えた優秀な兄弟衆たち北条氏政は、天文8年(1539年)ごろに北条氏三代当主・北条氏康の次男として誕生しました。 母は氏政正室の瑞渓