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スラヴォイ・ジジェクの『アバター』論 - そして、人生も映画も続く
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スラヴォイ・ジジェクの『アバター』論 - そして、人生も映画も続く
仏誌Les cahiers du cinemaの3月号にスラヴォイ・ジジェクが『アバター』論を書いていた。ジジェクと言... 仏誌Les cahiers du cinemaの3月号にスラヴォイ・ジジェクが『アバター』論を書いていた。ジジェクと言えば、構造主義以降の哲学者のスターとして邦訳も山ほどあるが、映画をめぐる文章も多い。さすがに『アバター』のように、文化論的議論を呼ぶような映画には何か言いたいのかもしれない。 まず彼はこの映画を「ハリウッドの模範的マルクス主義映画」と定義する。「カップルのできる昔ながらのパターン、ファンタジーへの絶対的な信頼、白人が土着民のプリンセスと結婚して王になるという古いトポスのナイーブな繰り返し」がそれである。この映画は「イデオロギー的に見ると、むしろ保守的で古くさいゲームであり、新しいテクノロジーの成功はむしろこの根本的な保守性を隠すために貢献している」と書く。 「この映画の教訓は明らかだ。土着民は人間によって助けられるか、破滅させられるかしかなく、どちらにしても人間の手の内のお