エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
近衛読書中隊 宇都宮太郎日記1909
1909(明治四二)年 五月二十二日 土 晴 篠塚中尉来訪。義兄負債の抵当に供せし其家邸の竟に人手... 1909(明治四二)年 五月二十二日 土 晴 篠塚中尉来訪。義兄負債の抵当に供せし其家邸の竟に人手に委せざる可からざるの悲報を報ず。 <注釈> 篠塚義男は歩一の将校の中で最も頻繁に宇都宮家を訪れている人物である。かつては自邸の庭に実った柿を持ってきたこともあったが、今度その邸を借金の抵当に取られることとなってしまったらしい。彼は熊幼、中幼、陸士をすべて首席で卒業したホープで、宇都宮も相当な期待を寄せていた。宇都宮は日露戦争当時、駐英武官として明石工作を助けて活躍したが、篠塚も第一次世界大戦に於いて、オーストリア大使館附武官として、情報収集で手腕を発揮した。大山柏は篠塚について、”名諜報で名声を博した”と書いている。四王天延孝も”ウィーンで色々な問題について卓越な意見を聞かされたから、それは書物に書いて広く人に読ませたらどうかと慫慂したら、書物を書きこれを印刷に附することは容易だが、その代わ