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エジプト世界駅 jp - Articles: アラブの春, エジプトのジャスミン革命
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エジプト世界駅 jp - Articles: アラブの春, エジプトのジャスミン革命
DR. Ahmed Fathy 2011年1月25日から2月12日までの18日間は、エジプト国民にとって、まさに新しい歴史の... DR. Ahmed Fathy 2011年1月25日から2月12日までの18日間は、エジプト国民にとって、まさに新しい歴史の幕開けとなる期間でした。18日間続いた数百万人規模のデモ隊は、警察機動部隊や大統領警護隊の催涙弾やガス弾、実弾の集中攻撃を無防備な体で受けとめました。カイロのタハリール広場を中心に、エジプト全国の大都市では、死者およそ800人、負傷者1万人ほどの犠牲者を出しました。警察側も数十人の死者が出ました。 30年間にもおよぶムバラク前大統領の体制の腐敗や独裁に耐え切れなくなった国民は、その怒りを爆発させたわけです。独裁体制は、実は、ムバラクよりずっと以前から始まっていました。60年ほど前、つまりナセルの軍事クーデターからサダト政権を経て、ムバラク政権が崩壊するまでの間、一党独裁がずっと続いていました。しかし、エジプト国民の怒りを爆発させたのは、さらに三つの点がありました。 ①