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古典への招待 【第38回:『今昔物語集』のおもしろさ】
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古典への招待 【第38回:『今昔物語集』のおもしろさ】
作品の時代背景から学会における位置づけなど、個々の作品についてさまざまな角度から校注・訳者が詳し... 作品の時代背景から学会における位置づけなど、個々の作品についてさまざまな角度から校注・訳者が詳しく解説しています。 『今昔物語集』も巻二十七より最終巻にいたる五巻となるといちだんとおもしろい。多くの近現代の作家たちが、彼らの小説の素材をこれらの巻から取り上げた。それにはそれ相応の理由があった。 まず第一に、これらの巻の話はいわゆる世俗の話であって、巻二十までの仏法にかかわる話でもなく、仏法的世界観をもって包み込もうとする姿勢でもない。かえって仏法よりも力のあるものの存在を肯定しようとする。巻二十七第三話は、桃園(ももぞの)の柱の穴より幼児の手が出て人を招くという怪異談であるが、その穴の上に経を結びつけたがその怪異はやまなかった。そこでその穴に征箭(そや)をさし入れたところ、手が出て人を招くことはなくなった。これには『今昔』の編者(たぶん僧侶(そうりよ)であろう)も、「征箭ノ験当ニ仏経ニ増リ