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第2回 見直された『甲陽軍鑑』 2007年のNHK大河ドラマは「風林火山」。戦国大名武田信玄のもとで、縦... 第2回 見直された『甲陽軍鑑』 2007年のNHK大河ドラマは「風林火山」。戦国大名武田信玄のもとで、縦横無尽に活躍する“軍師”山本勘助が描かれるが、ドラマのなかの勘助の物語は、はたしてどこまでが事実なのであろうか。新進気鋭の武田氏研究者が山本勘助の実像と虚像を紹介し、歴史事実を明らかにするとはどういうことかを考察する。 前回、山本勘助について確実な史料は1点しかないこと、そして勘助についてより知りたいのであれば『甲陽軍鑑』という史料に頼るしかないと述べた。しかし『甲陽軍鑑』には、事実であったと思われる内容と事実とは異なる内容とが混在してしまっており、部分部分で吟味をしながら使用しなければならない、注意を要する史料であることも指摘した。 『甲陽軍鑑』は以前、「史料としての価値は低い」という評価をくだされていた。理由は大きく二つある。一つ目は『甲陽軍鑑』には「高坂弾正が書き、彼の死後はその甥