エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤(2)二重防潮堤にも限界 - 毎日jp(毎日新聞)
新しい住宅地はすべて波にのみ込まれ、田老一高い6階建てホテルだけが残った。その「たろう観光ホテル... 新しい住宅地はすべて波にのみ込まれ、田老一高い6階建てホテルだけが残った。その「たろう観光ホテル」も3階以下は赤い骨組みがむき出しのまま。「津波が来たら最も危ない」。宮古市田老総合事務所(旧田老町)職員の大下哲雄さん(55)が常々そう感じていた地区(B地区)には今、わずかに残った住宅の残骸と破壊された防潮堤の破片が点々としている。 3月11日。大下さんは田老港に近い高台で、国民宿舎だった建物の解体に立ち会っていた。三陸の観光拠点と期待されながら、経営難で閉館した施設だ。地震後、作業員とその場にとどまっていると、沖から大砲を撃つようなごう音が聞こえた。父から大津波の前兆と聞かされていた音だった。 大下さんの曽祖母は1896(明治29)年の明治の大津波で家族6人を失い、ただ一人生き残った。その孫である父の信平さん(87)は9歳で昭和の大津波に遭い、母を亡くす。大下さんにとっての祖母だった。父か
2011/05/19 リンク