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書評:ブルース・フィンク『後期ラカン入門:ラカン的主体について』(2013)
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書評:ブルース・フィンク『後期ラカン入門:ラカン的主体について』(2013)
表紙の稲妻がきれい 個人的な思い出から。原著のThe Lacanian Subject : Between Language and Jouissan... 表紙の稲妻がきれい 個人的な思い出から。原著のThe Lacanian Subject : Between Language and Jouissance, 1995という本については、ちょっとした思い入れがある。大学院に入りラカンについて勉強を開始したときに、初めてネットを使ってアメリカから取り寄せたのがこの本だった。今日びは珍しくもないが、確か二〇〇二年ごろでインターネットによる買い物もまだ根付き始めたばかりだったというのと、僕自身、なにより学問的に右も左もわからないヒヨッコだったというので、この本の購入は自分にとりちょっとした、はじめの一歩、だったというわけだ。今から振り返ると気恥ずかしくもあるが、この本を手にしたときのそこはかとない高揚をかすかに記憶している。ところが、この本に没頭して読みふけったかといえば、正直に告白すると、そんなこともなかった。今にしてこそ、フィンクが書こうとし