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「<教養崩壊の時代>と大学の未来」、『世界』、2002年11月号、pp.215-219
遠からずそういう日が来るであろうというイヤな予感はしていた。2年ほど前の秋か冬の頃だったと思う。研... 遠からずそういう日が来るであろうというイヤな予感はしていた。2年ほど前の秋か冬の頃だったと思う。研究室でひとりの大学院生を相手にバフチンの「ポリフォニー」論についてRoutledgeのCommunication Theoryのハンドブックを教材に説明していたときのことだ。その院生がとつぜん「先生、ドストエフスキーって誰なんですか?」と私に訊いたのである。マンガの三コマ分ほどの長い沈黙とそれに劣らぬほど深い溜息の後、私はついにその日が本当にやってきたことを理解した。その日がやってくるであろうことはもう随分前から予想されていた。あらゆるところにその兆候はあった。街角の本屋の店頭にも、テレビのブラウン管のなかにも、中学校の教室にも、そしてもちろん町をいく若者たちの表情のうえにも、「2001年宇宙の旅」でコンピュータHALに見守られて「冬眠」している宇宙飛行士に似て眠り込む学部の学生たちの無表情の
2021/04/20 リンク