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対艦ミサイル相手に海上保安庁の巡視船を派遣して何の意味があったのか
どうも首を捻る話です。当時の事情をよく知らないので、何とも言えないのですが・・・ イ・イ戦争末期に... どうも首を捻る話です。当時の事情をよく知らないので、何とも言えないのですが・・・ イ・イ戦争末期に幻の海保派遣計画 後藤田氏が反対:東京新聞 2009年5月14日イラン・イラク戦争(1980-88年)末期、日本船を守るため海上保安庁がペルシャ湾への巡視船派遣を決め、派遣計画を練っていたことが国会議事録や関係者の証言で分かった。航続距離のある巡視船は1隻しかなく、防弾性も不十分ながら派遣を決定。しかし、当時の後藤田正晴官房長官(故人)が職を賭して反対し、計画は実行されなかった。 この件がスクープでも何でもないことは、以下の海上保安庁に詳しいブログ「蒼き清浄なる海のために」で指摘されている通りです。 「海保の中東派遣計画」を発見した(つもりになっている)東京新聞-蒼き清浄なる海のために 私が首を捻っているのはそういう面ではなく、純軍事的な視点から言えば「イラン・イラク戦争の最中に海上保安庁の巡
2009/06/05 リンク