エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
お江戸の舟遊び創業しちゃいました日記 |知られざる?山手線の奥深い歴史
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
お江戸の舟遊び創業しちゃいました日記 |知られざる?山手線の奥深い歴史
過日、山手線の歴史を聞く機会がありました。講師は、JR東日本建築設計事務所の方。中学から電車通学を... 過日、山手線の歴史を聞く機会がありました。講師は、JR東日本建築設計事務所の方。中学から電車通学を始めて、殆ど毎日のように山手線に乗っていたけれど、全然知らないことばかり。大江戸線や大阪の環状線と違い、元々は環状線として計画されたわけではないのだそうです。いくつか「へぇ~」と思った事を。 ・山手線の一番最初の駅は、品川(1872) 日本発の鉄道は新橋-横浜なので、てっきり新橋だと思っていました。品川の4ヵ月後に新橋ができた そうです。しかも品川宿(今の京急北品川駅あたり)の住民の反対で、今の場所に駅が作られ、海の 浅瀬を埋めて土手を作って線路を敷設した由。今は埋め立てられて面影はありませんが、海の上を列車 が走っていたのですね。 ・江戸時代の宿場町や門前町、農家が鉄道建設に反対したことが、現在の山手線の形に影響 品川宿もそうですが、内藤新宿(今の新宿三丁目駅あたり)、渋谷、目黒(今の目黒不